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JanJanNews 夢の実現に向かって走る義足のランナー

夢の実現に向かって走る義足のランナー 2006/07/17

 事故で両足膝下を失いながらも、社長として会社経営に当たり、義足のランナーとしてフルマラソンに挑戦してきた、島袋勉(43歳・沖縄県那覇市)さんの講演「夢をあきらめない」が7月11日、山口県岩国市立周東中学校体育館で行われました。会場に大きな感銘を残した講演の趣旨と、私の感想を記します。

 島袋さんは自動車保険会社を経営されていた2001年4月、出張先の千葉県の踏み切りで気を失い列車に跳ね飛ばされ、一命は取りとめたものの、頭を強く打った後遺症で記憶障害・両足膝下切断、という二重障害を負う。

 大きすぎる障害を負った島袋さんに、看護師さんは「助かって運が良かったですね、義足を着ければ歩けるようになりますよ」と言ったそうですが、何の慰めにもならなかった、とのことです。確かに、肉体的障害と精神的衝撃の大きさは、当事者でなければ分かるはずも無く、ましてや、これからの人生や夢、希望などを考える事すら出来る状況ではなかったでしょう。

 転機は母親への電話、だったそうです。お母さんは「こんな痛い思いをしたんだから、痛さから何か学ばなければ、ただの馬鹿だよ」といって、ハハハハッと笑ったそうです。

 落ち込んでいる息子に慰めの言葉より、あえてきつい言葉をかける!息子を思う母の本当の優しさだったのではないでしょうか。

 転機は、それだけではありませんでした、脊髄損傷・頚椎損傷の人達の懸命にリハビリをしている真摯な姿でした。「ダメだダメだ、と出来ない事ばかり考えず、どうすれば出来るようになるかを考え、最後まであきらめない」、島袋さんの懸命のリハビリは2002年12月までじつに20ヶ月も続いたのです。退院を終えた島袋さんの、あえて苦手な事にチャレンジする、それもホノルルマラソンを義足で走るという、新たな夢への挑戦が、この時、始まったのです。
 
 人生ふつうに生きるのさえ難しいいま、二重障害を負いながらも尚も懸命に生きている島袋さんの話に、生徒や教職員、父兄の方々も感動した様子でした。

 講演の最後に「私の走っている姿を見たくないですか?」と問いかけ、皆がザワザワしはじめた瞬間、会場を1周されました。それも最後まで。全力で。

 私は軽くジョギングされる程度かな、と思っていたのですが、こんな些細な事をするにも全力で取り組む、その姿にとてもショックを受けました。島袋さんの言葉や行動に接し、何の不自由も無い生活にどっぷり浸かってきた、今までの人生やこれからの人生を、改めて前向きに考えさせられた貴重な講演でした。

 義足で走ったホノルルマラソンの成績は、
・2004年 12時間59分 完走 
・2005年 7時間52分 完走
 という素晴らしいものです。

 島袋さんの次なる目標は、エベレスト登頂だそうです。チャレンジする目標は、人それぞれに違いますが、「ダメだダメだ、と出来ない事ばかり考えず、どうすれば出来るようになるかを考え、最後まであきらめない」と、島袋さんは今も身をもって示しています。

(山下和男)

11日 周東中体育館








妹さんとの共著











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