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沖縄タイムス 「できるよ」常に前向き 【学び屋】オヤジ・オフクロ物語

沖縄タイムス10・24.jpg沖縄タイムス 2006年10月24日掲載

【学び屋】オヤジ・オフクロ物語

「できるよ」 常に前向き    島袋 勉さん

 

写真・しまぶくろ・つとむ

43歳。那覇市出身。ラシーマ社長。20歳で全国初の下請けではない車検専門工場の同社を創業。37歳で列車事故で両ひざから下を失う。義足を着けてフルマラソンなど18レースに出場。社長業の傍ら月30-40本の県内外の学校で講演をこなす。

 

      とやかく言うことなかった母。「私が子に学んだ」と

 経済的に厳しい家でしたが、母はお金がないことを理由に、子どもが求めることに「出来ない」「買えない」とは決して言いませんでした。

 「ケーキが食べたい」と言えば、一緒に知り合いから古びたオーブンをもらってきました。自分で手入れして、本で作り方を調べて作りましたね。「大福が食べたい」と頼めば、返答は「もち米で作れるよ」。僕は台所にあったボウルに米を入れて、工事現場から拾ってきた角材でついて食べました。

 母は何事にも無理とは言わずに「工夫すればできる」とよく言いましたね。おもちゃなんて買ってもらえなかったたから、小学生のころは、よくごみ捨て場から電化製品を拾ってきて分解して遊んでいました。「危ない」とか止められたことはないです。とやかく言うことはなかった。

 ぜいたくは基本的にできませんでしたが、テレビを家に置かないことは教育方針だったようです。テレビのことを「時間泥棒」と言っていました。必然的に時間がたっぷりあったので、よく図書館で本を借りて読んでいました。

 事故に遭って両足を失っても母から「かわいそう」とか「大けがを負ってしまった」など哀れむ言葉をかけられたことはないです。でも僕が入院して会社が負債を抱えて傾いても、内情も分からずに「これからどんどん良くなるよ」と根拠もなく前向きなことは言っていました。

 思い出すと、母は算数の問題が解けなくて聞いても「よく考えてごらん」「もう一度読んだらわかるわよ」としか言いませんでした。本人は問題に全然目を通さないんですよ。不思議なことに言う通りにするとどうにかなる。具体的な助言は全くないんです。

 これに僕も妹も洗脳されたのでしょう。どんなときも「工夫すればできる」「頑張ればできる」と思い込んで現在に至っています。

 大人になってから聞いたんですが「私は子どもに何も教えていない。子どもから学んでいたんだ」と母は言っていました。自分が教えられないことでも、子どもには「できる」と思わせることで、結果として教えていた。母はすごいです。

(聞き手・松田興平)

 

 

 

 

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