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日刊いわくに 決してあきらめない人生

日刊いわくに.jpg日刊いわくに2007年4月17日掲載 決してあきらめない人生

義足のランナー島袋さん 由宇中で講演

踏切事故で両足を切断、記憶障害や視神経いじょうという多重のハンディキャップを抱えながら会社を経営、ホノルルマラソン大会も完走した“義足のランナー”島袋勉さん(43)の講演会「夢をあきらめない」が十三日、岩国市の由宇中学校体育館で開かれた。由宇ライオンズクラブ青少年育成事業で由宇中学校1-3年生と由宇小学校六年生、一般をあわせて約五百人が参加した。

島袋さんはリハビリテーションの過程などで多くの困難にぶつかりながらも、絶えず前向きに考え直して生きてきた人生を紹介し、「あきらめときに人は何もできなくなる。できないことを探すのではなく、できることを考えよう」と訴えた。

島袋さんは沖縄県那覇市で車検関係の会社を経営している。2001年四月、出張中に千葉県内で踏切事故に遭い、両足のふくらはぎから下を切断、事故の後遺症で記憶障害や視覚障害も負った。入院中、自分の会社も倒産寸前になってしまった。

こうした逆境を乗り越えて会社を立て直しただけでなく、〇四年十二月にはホノルルマラソン大会にも出場、両足義足に松葉杖という異例のランナーながらも四十二・一九五キロを約十三時間かけて完走した。

島袋さんは講演で、ないはずのつま先に痛みを覚えたり、負担が掛かるひざの激しい痛みに耐えたりしたリハビリ中のエピソードを紹介。優しい語り口調で、機能回復への壮絶な努力があったことに触れた。

「足がないことを言い訳にせず、障害があることを隠さないでおこう」と決め、ひざに大きなくつを履いて歩けるようになり、すべてのことでメモを取って記憶障害をカバーした。また、視覚に頼らず頭で考えてシャトルの動きを予測することでバドミントンができるようになったこと。さらに足の感覚がない中で練習を重ね、サッカーもできるようになったことを語った。

首から下の感覚が麻痺し、口でワープロを操作する人などの例を挙げた島袋さんは「方法は違っても、人はいろいろなことができると分かった」とし、「夢や希望をなくしたときに人は不安になり、暗くなる。明るい表情の人は将来の夢を話題にしている」と話した。

会社再建では「記憶障害がある自分が社内で一番仕事を忘れることが少なかった。それはメモを取る習慣が身についたからだ」と話した。

ホノルルマラソンでは出場をためらったこともあり、コース途中で後悔もしたが、「どんなに苦しいときも、あきらめない習慣を身に付けよう」と思い、ゴールの瞬間だけを考えたという。完走の喜びで「言いわけをしないことの大切さを知った」と述べた。

島袋さんは最後に、事故のショックで人生の目標を失いかけたときに母が言った「これほど痛い思いをしたのに何も学ばないのは馬鹿だ」、リハビリ中に病院の看護師が言った「島袋さん、あなたは運がいいですよ」という言葉の意味が分かったと締めくくった。

島袋 勉さん(しまぶくろ・つとむ)一九六三年四月、沖縄県那覇市生まれ。一九八三年四月、二十歳で会社創業、新システムの開発により成長した。二〇〇一年四月、米国でのIT事業視察の帰り、千葉県で事故に遭い、両足を切断、頭部挫傷による高次脳機能障害(記憶障害)を負う。二〇〇四年十一月に両足義足で三㌔トリムマラソン初挑戦、同年十二月にはホノルルマラソン(四十二・一九五キロ)に挑戦した。二〇〇七年二月の東京国際マラソンでも完走。㈱ラシーマ代表取締役。

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