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琉球新報 夢への挑戦‐ 富士山登頂記【上】 痛み、義足故障 乗り越え

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琉球新報 夢への挑戦 富士山登頂記 上 2007年8月25日掲載

痛み,義足故障 乗り越え

両足義足のランナーとして知られ、これまで国内外のフルマラソンなどを完走した島袋勉さん(44)=西原町=が八月五日、富士山の登頂に成功した。苦難と感動の登頂記を寄稿してもらった。

私は那覇市で生まれ、幼少のころ、伊江島で育った。島の真ん中に標高一七二㍍の城山という島唯一の山があった。幼いころ、そこへ登るのは大仕事だった。

小学校へ入学したころ、日本で一番高い山は富士山だと知り、数年して世界一高い山はエベレストだと分かった。いつか富士山に登ってみたい、エベレストに登りたい!そう思い始めていた。

社会に出ると毎日が慌しくそれどころではなかった。仕事をリタイヤしたら登山に挑戦しよう!そう思っていた。

六年ほど前に突然、電車にはねられる事故に遭ってしまい、気づいたときには両足がなくなっていた。脳や眼にも障害を抱えた。富士山やエベレストの話どころではなくなってしまった。

山のことなど思い出すこともなくなっていた二年ほど前、小学校へ講演に行った時、質問された。「子供のころの夢は何でしたか?」。家に帰ってもう一度考え、思い出した。夢はエベレストに登ることだった。

そのころの私は、義足で平坦でない道を歩くのが苦手だった。痛みがひどいので悪路を歩くのを避けていた。

足がなくなったくらいで夢をあきらめてはいけない!そう思って富士山、エベレストへの挑戦を始めた。不思議なもので登山を決意すると、今まで避けていた悪い道を歩くことが好きになってきた。夢を実現するための訓練だと思えば、どんなに痛みが出ても苦にならなかった。

昨年九月。静岡での講演の時に富士山に登れるか聞いた。登れる期間は七月から八月までだという。仕方なく、来年登りたいと伝えて帰ってきた。そんな話も忘れかけた十二月十日。ホノルルマラソンに参加するためハワイのホテルに泊まっていると、深夜、携帯電話が鳴った。「富士山に一緒に登りましょう」。三重県在住の会社社長、中村文昭さんからの連絡だった。二つ返事で了解した。

少人数で登るとばかり思っていたが、中村さんや路上詩人のてんつくマンも参加し、他の参加も受け付けているという。おまけに登頂し下山した当日に四百八十人収容の会場でトークショーも計画されているという。

下山直後の"トークショー"本当にこんな事ができるのだろうか?そう思った。山道は岩場や凹凸が多いので義足では痛みがひどい。足に傷もできる。準備は周到にしよう!そう思い履いていく義足を選び調整をした。

出発の前日、坂道でテスト登坂した。その時、思いがけない事態が起こった。義足の調子がおかしいのだ。それでも無理して進んでいると、ついに義足が完全に壊れてしまった。ショックを受けている余裕はなかった。翌日に出発が迫っていた。とりあえずいつもの義足に取り換え、調整する時間もなく沖縄を出発した。

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