「夢をあきらめない」・・・小学校6年生より
愛知県の小学校5年生が著書「義足のランナー」を読み感想文を書いてくれました。
そして翌年6年生になって「夢をあきらめない」講演会を実際に聴いた後「夢をあきらめない」という作文を書き、作文集に掲載されてラシーマに届きました。
掲載された文集をラシーマの2階に昨年まで掲示していました。その文集を昨年末ラシーマで読まれた沖縄県・久米島(離島)に勤務される小学校教諭より「是非ホームページで紹介してほしい...」との「お願い」が届きました。リクエストにお答えして...紹介致します。
・・・・以下愛知県から届いた小学校6年生の作文です。↓・・・
「夢をあきらめない」 北城小6年生
それがぼくの島袋さんを見た最初の印象だ。
本を読んだ島袋さんは、踏切事故で両足切断、頭を強く打ったことによる記憶障害と、物がダブって見える「複視」という障害をもっているということだった。でも、実際に見る島袋さんは、義足であること以外は普通の人と変らないような自然な歩き方や話し方をしていた。
この本を読み始めたとき、もしぼくがこの先突然事故にあって、足がなくなってしまったら、絶対おちこんで「歩くことができないなんて、これからどうすればいいんだ。」というふうになってしまうと思った。そして、そのまま立ち直れず生きる希望をなくし、ベットで寝たきりになって、そのまま死んでしまうのではないかとさえ思う。でも、島袋さんは「たとえ障害があっても、すべてができないわけではない。努力や工夫で可能性はある。出来ないとあきらめた時に出来なくなるんだ。」ということに気付いた。その結果、物を忘れてしまうならメモをとろう。足が無いなら義足をはこう。歩けるようになったら走ってみようという様に、次々と」挑戦して、全てやりとげてみせた。ぼくならきっと、義足で歩けるようになった時点で満足してしまっただろう。
そういえば、ぼくが四年生の時、野球で右手の薬指を骨折したことがある。その時ぼくは、「これじゃあ当分野球は出来ないなあ。」とあきらめて休んでいた。その時コーチに、「投げることができないなら、走ったりボールを受けるだけでも練習になるから出てこいよ。」と言われたことを思い出した。島袋さんもたくさんの人の言葉にはげまされ、今のように明るく生きているのだと思う。
それからさらにすごいと思った所は、自分の一番苦手な長時間歩くことと、走ることに挑戦したということだ。「マラソンに挑戦したい。」と医者に相談したら、あっさり無理だと断わられてしまった。しかしホノルルマラソンなら制限時間がないため、「あきらめなければ必ずゴールできる。」と思い、出場することに決めた。
当日、四十二、195キロという長い距離を十二時間五十九分二十九秒という長い時間をかけて走りぬいた。初めてのフルマラソンを完走したことでとても自信がついたと島袋さんは言う。
ぼくは島袋さんの生き方を見て、夢を実現するということは、体に障害があるとかないとかいうこととは、全く関係がないということがわかった。夢を実現するということはあきらめない気持を持ち続けることだと思う。
ぼくは今まで、できないことは最初からすぐにあきらめてしまう所があった。でもこれからは、何か目標を見つけた時、できないとすぐにあきらめるのではなく、できる方法を考えて挑戦していこうと思う。そして、がんばっている人を見たら、応援したいと思った。
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