支えて、導き、助けて頂いていることに気づくための挑戦であった様に...
大谷さんの宮古島トライアスロンへの挑戦は私(島袋勉)にとっても励みですが・・・
何人もの方より励みとなった・・・と私にも連絡が届いています。 どうもありがとう。
★初挑戦された大谷さんより届いた葉書きを紹介↓
島袋勉 様 H22・4・20
栗田智美様
昨日は感動の再会をして頂き涙が出ました。
「ナイスチャレンジャー」という文字に胸が熱くなりました。勉さんの数々のチャレンジと想いが少しだけ味わえました。
13時間半のレースでしたが、自分と向き合い支えて、導き、助けて頂いていることに気づく為の挑戦であった様に思います。お母様の笑顔、美奈子さんの明るさ、忘れません。お庭から摘んで下さったお花だと気づいた時、また涙が出ました。
勉さんとの出会いから始まりましこの挑戦。今回のゴール地点は那覇空港でした。
一気飲みしたマンゴジュース最高でした。
皆さんのなんとも言えない優しさと温かさ ほんとうに ほんとうにありがとうございます。
大谷育弘 拝
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4月18日、宮古島トライアスロンへ挑戦して参りました。
水泳3km
↓
自転車155km
↓
ランニング42km
合計200kmを制限時間13時間半で自分と闘うレースです。
私の尊敬する両足義足のランナー島袋勉さんの生き方に感動し、
最も苦手なことに挑戦しようと決意したのが10ヶ月前でした。
188km地点で制限時間となりましたが、
今回の挑戦でたくさんの気づきを頂きました。
①
スイムは常に密集状態が続き、恐怖です。
頭を殴られたり、顔を叩かれてゴーグルが外れそうにもなりました。
上から乗ってこられて溺れそうにもなりました。
しかし、レース前に自分で決めたことがあります。
殴られる度に「ありがとうございます」と言うこと。
すると、苦しみよりも、
この青い海で泳がせてもらっていることや
舟の上から、海に潜っているダイバー、みんなから見守られていること、
そして、見えない所で自分の無事を祈ってくれている人のことを思うと
気がつくと、泣きながら泳いでいました。
苦しさの中にも、楽しさがあり、
たくさんの「ありがとう」を見つけることができました。
きっと人生も同じなのでは。
②
スイムのラスト200mの地点で左足の怪我が再発しました。
着替えるところまでたどりつけず
途中の芝生で足を伸ばしていました。
そこに、左足が義足の方が横に座られました。
みんな自分と闘っているのだと改めて感じました。
がっちりと握手をしてもらい、絶対ゴールしようと励ましあいました。
その時、自分の弱さが吹っ飛びました。
何か偶然ではないように思えました。
後からその方の生き様を知りました。
→http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-04-18_5819/
③
沿道でのボランティアの方々の支えが力になりました。
自転車の速度に合わせて走りながらボトルを渡してくれる小学生、
手渡しながら「頑張ってください」と言われる度に、涙が流れました。
何の見返りもなく、ただただ頑張っている人のために
一生懸命働いてくれているその姿に、たくさんの力を頂きました。
と同時に、自分はこんなにも人を応援したことがあるのか、と
問いかけました。
④
自転車を終え、後はフルマラソン42km。
残り時間は6時間半ありました。
言い訳をせず、
自分と闘いました。
歩いている人に抜かれていきました。
中学校の前を通った時、
大勢のブラスバンドが
ロッキーのテーマを演奏してくれました。
号泣しました。
追い抜かれる人の
一人ひとりの背中を見ていると
それぞれの想いが背中から伝わりジーンときました。
みんな自分と闘っています。
沿道で数えられないほどの応援や声援を頂きました。
「ゴールで待ってるぞ」
「絶対帰って来いよ」
そして、本当に苦しい場面で
「楽しんで下さい」
と声が届いた時、自然と涙が流れました。
忘れられません。今でも心に残っています。
⑤
ランニングの25km地点から30km地点までの約1時間は
真っ暗な畑の中を一人で足を引きずっていました。
最後尾でした。
自分と向き合いました。
今までこれほどまで、応援してもらったことがあっただろうか、と。
あえて苦手なことにチャレンジしたからこそ
支えてもらっていることや
応援してもらっていることが
身にしみました。
今までは、得意な分野で勝負していて、
自信もあり、常に強気で、
周りが見えていなかったことに気づきました。
実は、今までも、
そしてこれからも、
同じぐらいの応援をしてもらえます。
それが、見えるか、見えないかということだと気づきました。
本当の意味での「ありがたさ」や「おかげさま」が
分かっていなかったことに気づきました。
⑥
30km地点でスタッフの方に時間切れと宣告されました。
ゼッケンを外すので、最後まで行かせて欲しいと懇願しました。
しかし、ダメでした。
それならば、いったん終わってから、
30km地点までタクシーで戻り
一人で続けようとも考えました。
しかし、大会を支えて下さっているボランティアの方々の
想いを考えた時、自分の我を通すことが出来ませんでした。
あきらめず、何回でも挑戦します。
⑦
レースの翌日、ある若者がゴミ拾いを提案しました。
思いのある人たちが集まり、
ボロボロの身体でゴミ拾いをしました。
感動しました。
→http://ameblo.jp/iwa-mizu-g/entry-10422150571.html
実は、その若者はランニングの時、
体調を崩し走れる状態ではありませんでした。
それを、八尾彰一監督が自分のレースを捨て
助けてゴールまで導きました。
ゴミ拾いを提案した若者を見過ごす訳にはいかなかった、と。
八尾彰一監督の生き方に感動しました。
⑧
帰りの那覇空港で島袋勉さんと島袋さんのお母さん、妹さん、
そして、ツールド沖縄の際お世話になった上間さんが
到着ロビーに駆けつけて下さいました。
花束と祝福を頂きました。
「ナイスチャレンジャー大谷先生!」
のプラカードを見た時、涙が出ました。
と同時に、
島袋勉さんの生き様を見た思いでした。
島袋勉さんの出会いから始まりましたこのチャレンジ、
今回のゴールは那覇空港でした。
→http://shimabukuro.blog123.jp/archives/2010/04/02614.php
⑨
今回の挑戦で見えてきたものがありました。
自分自身がいかに無力であったとしても、
人の支えと協力によって必ず出来るようになるということ。
できるか、できないか、を考えるのではなく、
心で感じたら、チャレンジすること。
まずは、スタート地点に立たたなければ、何も始まらないこと。
そして、できるまで、あきらめずに
チャレンジし続ければいいということ。
最後になりましたが、
今回の挑戦は、八尾彰一監督とのご縁なしでは実現しませんでした。
心より感謝申し上げます。
→http://yaologic.blog.eonet.jp/blog/