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もうすぐ興南を卒業する島袋くん これからも応援しています。

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中大の監督は「うれしい」 興南・島袋が進学見通し昨年の春・夏連覇であきらめず夢に向かい続け、最後に最高の笑顔をみせてくれた興南。応援する者も皆、本当に笑顔になりました。

それまでの積み重ねが集中力や判断力にあらわれていただけに感動。

全国制覇エースとして活躍した島袋くんも、これからは東都大学リーグの中央大学。これからも応援しています。

★(島袋洋奨くん記録)スポルティーバより↓

【高校野球】島袋洋奨が語る、興南高校の強さ、そして4年後の自分

 2010年、沖縄に史上初めて深紅の大優勝旗をもたらし、春夏連覇の快挙を成し遂げたサウスポーは、プロではなく、大学への道を選んだ。興南高校のエース、島袋洋奨(しまぶくろ・ようすけ)はこの春、東都大学リーグの中央大学に入学し、甲子園から神宮へと、活躍の舞台を移す。

「今まで、東都の試合は一度も観たことないんですけど、東都は"野球"をしてくる、という話を聞いたことがあります。特に亜細亜大とか、どんどん走ってくるし、バントも確実に決めてくると......東都にはそういう意味での"野球"をしっかりしてくるチームが集まっているので、自分も、技術的にはムダなフォアボールを出さないようにしたい。周りに信頼される、こういう場面はお前が行け、と思われるようなピッチャーになりたいです」

 決して上背があるわけではない島袋が憧れているのは、ヤクルトの石川雅規。小柄な体格ながら多彩な変化球と緻密なコントロールを武器に、毎年のように2ケタ勝利をマークしてきた石川は、大学時代、東都の青学大のエースとして神宮のマウンドに立っていた。島袋も石川と同じ神宮のマウンドに立ち、4年間、東都の荒波に揉まれることになる。

「神宮球場ではプレイしたこともないし、試合を観に行ったこともないんです。2年の秋、九州大会で優勝すれば春の明治神宮大会に行けたんですけど、エラーが絡んで準決勝で負けてしまって......あれは、悔しかったですね」

 しかし、その九州大会で敗れた悔しさを糧に、苦しい冬を乗り越えることで、興南には逞しさが備わった。島袋だけのチームから、強打の興南へ――とりわけ夏に見せた興南の力強い野球には、全国の野球好きは目を見張らされたはずだ。しかし興南の選手たちはセンバツの前から、すでに全国の頂点へと意識が向いていたのだという。それは、我喜屋優(がきや・まさる)監督の"ある言葉"がもたらしていた。

「ひとつ上の代が新チームになったとき、監督は『全国を目指すチームとして厳しくやっていく』と言われて、実際に全国に進みました。その一年後、今度は自分たちの代が新チームになったとき、監督が『今年は全国の頂点を目指すチームになるぞ』と言われたんです。だから、ずっとそういう気持ちでレベルの高い練習をしてきましたし、それだけの準備をしてきたという自信がありましたね」

 島袋は、キレのあるストレートを、コーナーいっぱいに投げ込む。甲子園では13試合に登板し、歴代3位にあたる130個の三振を奪った。完成度の高い18歳のサウスポーには、プロからも熱い視線が注がれた。

「センバツが終わった頃、プロ野球の世界にも興味がわいてきて、悩みました。でも、マイナス思考もありましたね。体もまだ出来上がっていませんし、プロの世界は正直、怖いという気持ちもあったし......決めたのは、夏の大会が始まる前、一番、自分の中でプロに行きたいという気持ちが高まって、監督さんと相談したときです。『プロも考えている』と話したら、『プロもいいけど、大学でまだやることもあるだろう』『センバツに勝ったくらいでプロに行ける実力があるなんて、そんな甘い世界じゃないよ』と言われて、我に返りました。プロ野球は結果を求められる場所ですし、そこに行くのはまだ早過ぎると思ったんです。ただ、高校ジャパンで周りのみんながプロに行くという話をしていたので、自分もプロに声をかけてもらえる実力があったのかなということは知りたかったですね。だから、プロには行きたくないんだけど、ドラフトでは指名してもらいたかったみたいな......そんなわがまなな感じでした(笑)」

 もちろん、プロを志望すれば上位で指名されたであろう島袋には、澤村拓一(巨人)が卒業した中大で、いきなり開幕投手を任されるのではないか、という声も挙がっている。

「......そういう噂は聞きましたけど、さすがにそれは難しいですね(笑)。でも、もちろん監督さんに行けと言われたら、行きますよ。大学でしっかりやって、4年後に声がかかるような選手になれれば、そのときはプロに挑戦したいなと思っています」

"戦国東都"は、平日の神宮で開催されている。沖縄尚学のエースとして3年前のセンバツを制した右腕、東浜巨(ひがしはま・なお)は、1年春から亜大のエースとして東都を盛り上げてきた。3年生になった東浜と1年生の島袋という、沖縄が生んだ右と左の甲子園優勝投手による投げ合いが実現すれば、平日の神宮には、けたたましい指笛が鳴り響くに違いない――。
 
石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 


 
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