「生じたことから教訓を学び次世代につなげなくてはならない」
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岩手県釜石在住の吉田さんより感謝のメールが届きました。
複雑な心境を味わいながらも,今できることに集中されようとしている様子を知り,わたしたちも引き続き応援しつつ,支援を続けていきたいと思っています。吉田さんより↓
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島袋さん
本当にありがとうございます。
やるせない気持ちや,悲しみとどうにかしなくてはならないとの複雑な毎日です。
それでも今に集中し,救援に協力して乗り越えていきたいと思っています。
"夢をあきらめい"その言葉を思い出しています。
島袋さんが両足を失い頭や目にも障害を抱えても夢に向かう。
それがどれほどのことな,それも本当にわかっていなかったとわかりました。
今回の津波で,親や祖父母が話していた津波の話を思い出しました。
そして本当の意味でわかっていなかったとわかりました。
経験しないと本当の意味ではわからないです。
講演で島袋さんのお母様が語られた言葉を思い出していました。
「こんなに痛いをしたのだから教訓を学びなさい」
自分に生じたどうにもできないことは受け入れること。
そして生じたことから教訓を学び次世代につなげなくてはならない。
と,今は考えています。
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***************毎日新聞より**************
東日本大震災 祖先の教訓、集落救った 高台移転で無傷
東日本大震災の大津波により壊滅的な被害を受けた岩手県沿岸部で、過去の津波被害の教訓から高地に移転し、今回は難を逃れた集落がある。釜石市唐丹(とうに)町本郷と、大船渡市三陸町吉浜の2集落。本郷地区は道路を挟んだ上下で「明暗」がはっきり分かれた。防災の専門家は「被災地の復興策として高地移転を進めるべきだ」と指摘する。
本郷地区は明治三陸地震津波(1896年)と昭和三陸地震津波(1933年)で海岸部の家屋がほぼ全滅した。住民たちは裏山を切り崩して海抜約25メートル以上の高台に団地を造成、約100戸を移転させた。今回の津波は唐丹湾の防潮堤(高さ約10メートル)を乗り越え、高さ20メートル以上に達したとみられるが、移転した家屋はほぼ無傷だった。一方、転入者らが近ごろ建てた低地の約50戸はのみ込まれた。
住民らによると、住民たちは高台に避難し、犠牲者は漁船を沖に出そうとして津波に襲われた1人だけだった。漁業の千葉賢治さん(79)は「堤防を越える津波が来るなんて思わなかったが、親たちの知恵が生きた」と話す。
吉浜地区も明治三陸地震津波の後に約50戸が海抜20メートル以上の場所に移転。今回、元々集落があった水田地帯は水没したが、家屋は全壊が1戸だけで、死者も1人だった。
牛山素行・静岡大防災総合センター准教授は「今回の大津波で明らかに有効だった対策は高地移転だけ。再建する集落に加え、近い将来大地震による津波被害が想定されている東海地方などでも高地移転を検討した方がいい」と話している。【福永方人】
本郷地区は明治三陸地震津波(1896年)と昭和三陸地震津波(1933年)で海岸部の家屋がほぼ全滅した。住民たちは裏山を切り崩して海抜約25メートル以上の高台に団地を造成、約100戸を移転させた。今回の津波は唐丹湾の防潮堤(高さ約10メートル)を乗り越え、高さ20メートル以上に達したとみられるが、移転した家屋はほぼ無傷だった。一方、転入者らが近ごろ建てた低地の約50戸はのみ込まれた。
住民らによると、住民たちは高台に避難し、犠牲者は漁船を沖に出そうとして津波に襲われた1人だけだった。漁業の千葉賢治さん(79)は「堤防を越える津波が来るなんて思わなかったが、親たちの知恵が生きた」と話す。
吉浜地区も明治三陸地震津波の後に約50戸が海抜20メートル以上の場所に移転。今回、元々集落があった水田地帯は水没したが、家屋は全壊が1戸だけで、死者も1人だった。
牛山素行・静岡大防災総合センター准教授は「今回の大津波で明らかに有効だった対策は高地移転だけ。再建する集落に加え、近い将来大地震による津波被害が想定されている東海地方などでも高地移転を検討した方がいい」と話している。【福永方人】
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