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最後まで「あきらめない」その精神が伝わってきた聖光ナインの輝く目。

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最後まで「あきらめない」その精神が伝わってきた聖光ナインの輝く目。

輝くこの目と悔しい思いが,今後の大きな力になると信じて応援しています。

心からの笑顔が見れる夏の甲子園に向けて新たなスタート。

課題が明確になったからこそ,夏を楽しみにしています。

*******毎日新聞*******

センバツ>聖光学院 実家が被災した2投手が登板

3月29日(木)

<センバツ>聖光学院 実家が被災した2投手が登板
【横浜-聖光学院】福島県楢葉町の自宅が警戒区域内にあり、八回途中から登板した聖光学院の飯高星哉投手=阪神甲子園球場で2012年3月29日、加古信志撮影
 第84回センバツ第8日の29日、聖光学院(福島)が第2試合に出場し、東日本大震災や原発事故で実家が被災した2人の投手が登板した。いまだ復興から遠い故郷。「少しでも勇気を与えられれば」と、横浜(神奈川)相手にベスト8入りを目指した。試合は1-7で敗れたが大きな拍手が送られた。

 宮城県石巻市出身のエース、岡野祐一郎投手(3年)が先発。昨年3月11日、津波で実家の1階が浸水した。家族は無事だったが、今も自宅近くにがれきは残る。今大会で選手宣誓を務めた石巻工(宮城)の阿部翔人主将(3年)とは中学時代に地域の野球チームで一緒にプレーした。石巻工が大会第2日に敗れ、阿部主将から「俺たちの分も頑張ってくれ」と電話がかかり、気持ちを奮い立たせた。この日は八回途中で降板したが、「苦しい思いをしている人のために精いっぱいのプレーをしたかった。夏に戻ってきたい」と次を見据えた。

 マウンドを引き継いだのは飯高星哉(いいたか・せいや)投手(3年)。福島県楢葉町(ならはまち)の自宅は警戒区域内で立ち入り禁止に。家族は東京で避難生活を余儀なくされている。センバツ出場が決まり、避難生活を送る同級生らから「応援している」とメールが届いた。この日は2三振を奪い、試合後、「こういう状況で野球ができることに感謝したい。悔しい思いを次につなげたい」と話した。

 スタンドで岡野投手の父智之さん(48)は「最後まで諦めないという思いが被災地にも伝わったのでは」。飯高投手の母照美さん(39)は「気持ちがこもった投球で、誇らしい。元気をもらった」と語った。【蓬田正志、石戸諭】
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