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会ってから12年後の嬉しい知らせ!

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バンクーバー国際マラソンを初めて両足義足で走った後、サポートを申し出てくれた松田さんの記事が中国新聞へ掲載されていました。その記事を読まれた方が「義足のランナー」も読み、沖縄まで会いに来たことがありました。その方はエリートランナーでしたが病気で走ることをあきらめている方でした。その後ボランティアサポートする目標を立てたと連絡があり、その後連絡がありませんでした。
昨日、連絡があり何年かボランティアサポートしていると走りたくなり今年バンクーバー国際マラソンへ挑戦されたそうです!病気後、初めての挑戦!「挑戦したのでさらに勇気が出た!」との感想でした! 
会ってから12年後の嬉しい知らせ! 関係する皆の喜び!
     *************中国新聞に掲載された記事****************

ロッキー山脈のジャスパーという小さな町に暮らしている。

 バンクーバーで暮らしていた時、「日本から両足義足のランナーがマラソンに参加。ぜひ応援を」。四年前に事故で両足を失った島袋勉さん(42)から、バンクーバー国際マラソン参加の知らせがあった。

 「何か手伝わせてほしい」と、早速メールをした。現地留学センターを利用する友人たちも、次々とサポートを申し出て、即席チームが結成された。

 五月の開催日寸前にバンクーバーで初顔合わせ。島袋さんは、驚くほど明るく、ユーモアあふれ、「義足のおかげで背が伸びた! 少しは良いこともないとね!」と、私たちを笑わせる。

 闘病生活の苦労は想像に難くない。事実、数度の手術を繰り返し、無いはずの足が痛む「幻肢痛」に鎮痛剤は効かず、脳障害による記憶障害にも苦しんだ。それにもかかわらず、「病院で出会った多くの方々からすれば、僕のけがは軽い方」と苦労を感じさせない。

 レース開始直後。一時間先行してスタートした島袋さん。最初の折り返し地点を過ぎたころ、フルマラソンのランナーとすれ違う。沿道だけでなく、それをしのぐ同じランナーたちからの声援。「Good job!」と、あふれんばかりの声援、拍手。自身もハイペースランで苦しいだろうに。併走するわれわれにも大きな声援をくれる。島袋さんも笑顔で応える。まだ十キロ地点。もう私の目には涙が浮かんできた。すべてが温かく、心強かった。

 足の痛みに苦しみつつ、島袋さんは必死で歩を進める。スタートして八時間四十分四十四秒後。会場は片付けられ、報道陣の姿もない。それでも、大会スタッフやサポートメンバーに囲まれ、島袋さんは笑顔で無事ゴール。完走した顔には、疲労と安堵(あんど)感、そして達成感。最高の一日が幕を閉じた。

 この日をきっかけに、カナダの見方が変わった。バリアフリー先進国。町には、何気(なにげ)ないスロープや昇降機付きバス。身障者に対する意識は、日本よりはるかに進んでいる。事実、繁華街を多くの車椅子が往来し、ナイトクラブでも、フロアで踊る車いすの人を見かける。すべてがごく自然。カナダでは「当たり前」の光景なのである。

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