会ってから12年後の嬉しい知らせ!
ロッキー山脈のジャスパーという小さな町に暮らしている。
バンクーバーで暮らしていた時、「日本から両足義足のランナーがマラソンに参加。ぜひ応援を」。四年前に事故で両足を失った島袋勉さん(42)から、バンクーバー国際マラソン参加の知らせがあった。
「何か手伝わせてほしい」と、早速メールをした。現地留学センターを利用する友人たちも、次々とサポートを申し出て、即席チームが結成された。
五月の開催日寸前にバンクーバーで初顔合わせ。島袋さんは、驚くほど明るく、ユーモアあふれ、「義足のおかげで背が伸びた! 少しは良いこともないとね!」と、私たちを笑わせる。
闘病生活の苦労は想像に難くない。事実、数度の手術を繰り返し、無いはずの足が痛む「幻肢痛」に鎮痛剤は効かず、脳障害による記憶障害にも苦しんだ。それにもかかわらず、「病院で出会った多くの方々からすれば、僕のけがは軽い方」と苦労を感じさせない。
レース開始直後。一時間先行してスタートした島袋さん。最初の折り返し地点を過ぎたころ、フルマラソンのランナーとすれ違う。沿道だけでなく、それをしのぐ同じランナーたちからの声援。「Good job!」と、あふれんばかりの声援、拍手。自身もハイペースランで苦しいだろうに。併走するわれわれにも大きな声援をくれる。島袋さんも笑顔で応える。まだ十キロ地点。もう私の目には涙が浮かんできた。すべてが温かく、心強かった。
足の痛みに苦しみつつ、島袋さんは必死で歩を進める。スタートして八時間四十分四十四秒後。会場は片付けられ、報道陣の姿もない。それでも、大会スタッフやサポートメンバーに囲まれ、島袋さんは笑顔で無事ゴール。完走した顔には、疲労と安堵(あんど)感、そして達成感。最高の一日が幕を閉じた。
この日をきっかけに、カナダの見方が変わった。バリアフリー先進国。町には、何気(なにげ)ないスロープや昇降機付きバス。身障者に対する意識は、日本よりはるかに進んでいる。事実、繁華街を多くの車椅子が往来し、ナイトクラブでも、フロアで踊る車いすの人を見かける。すべてがごく自然。カナダでは「当たり前」の光景なのである。
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