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アロハストリート 誰も知らないホノルルマラソン

「誰も知らない2004ホノルルマラソン」  JAL Honolulu Marathon 2005
 
誰も知らないホノルルマラソン 
両足義足で完走した42.195キロ 島袋勉さん!!


今週はホノルルマラソン・ウイーク。
明日あたりから、そろそろたくのランナーの皆さんが、東西各国から到着してきます。ワイキキにはスポーツウエアのランナーの姿であふれ、にぎやかになります。

フジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」でも取り上げられ、ご存知の方も多いと思います。

フルマラソン42.192㌔を見事に完走は島袋さんにとって、素晴らしい達成感を感じる体験だったでしょう!!
同じく障害を持った方々にかけがえのない勇気を与えてくれたに違いありません。
 「2005年ホノルルマラソンにも、もちろん出場しますよ!」
 島袋さんは、どうやらハワイの魅力、ホノルルマラソンの魅力にやられてしまったようだ!!

沖縄在住の島袋勉さん(41歳)は、30名ほどの車検工場を経営する会社社長。2001年4月の東京出張を機に、彼の人生は大きく変わりました。電車の踏切で転倒、そのまま気を失い、両足首から下を失う結果になったのです。
 「不幸中の幸いというか、転倒のショックなのか、前後の記憶がまったくないのです。事故の前の日から事故後2日程度。気づいたら病院に寝ていて、自分の足がないことすら気づかなかった」と島袋さん。
 膝下10㎝程度までを残し、その下がまったくない状態。その後の回復やリハビリは決して楽な道のりではありませんでした。手術、再手術と繰り返しながらリハビリと適合する義足を求めて長野や埼玉の専門病院での生活が続き、沖縄には1年半も帰れませんでした。

 現在では沖縄に戻って会社経営をしている島袋さんですが、なぜまたホノルルマラソンに興味を持たれたのでしょう?
 「ホノルルマラソンはずっと前からの憧れでした。それはもう20年前くらいからの。当時マラソンを一般の人がすること自体、ありえないことでしたが、ホノルルでは、制限時間もなく、芸能界の人たちや一般の方たちがジョギングペースや歩いたりして完走している。その様子は、いつか自分にもできるのかもしれない、と憧れをかきたててくれたんですね。」
 とくにスポーツを継続してやっていたというわけではない島袋さんが、ついに決断をすることになったのは、実は昨年11月に沖縄県総合運動公園で開かれた中部トリムマラソン大会で、3キロの部を完走してから。夢は挑戦しないうちはいつまでも夢。義足が合わないことを理由に先延ばししていないで、今、やってみようと思い立ったのでした。
 もちろん出発前には義足メーカーや専門医にも相談をしていた島袋さん。でも、かつて誰も経験したことがないことゆえ、明確な回答を得ることは難しかったと言います。
 「ドクターストップ、ということではないのですが、やはり暗に『無理』である、身体に良くないから止めるべき、というようなことを言われました。まあお医者さんとしては当たり前かなとも思いますが、止めろと言われると余計挑戦もしたくなるもので(笑)。」


「大会前の1カ月は、トレーニングというよりも、足をきちんと休めることに集中しました。あまり歩くとやはり足を傷つけてしまうし、痛みもありますので。ハワイ入りしてから大会までの4日間、コースの下見をかねて少しずつ実際に歩き、義足を調整したり、歩行の練習をしていました。杖をついて歩かねばならなかったし、場面、場面でどういう対策をしないといけないのか、実際に歩かないとわからないので、ほぼ全コースに渡って歩きました。」

 当日は妹さんご夫婦と友人にサポートされて、結果は12時間59分で完走。足の激痛に耐えながら、休み休みの道中。ホノルルマラソンはハイウエイで折り返してきたランナーとすれ違うので、皆が応援してくれる。それがとても嬉しかったし、励みになったと島袋さん。しかし、時間制限がない大会とは言っても、このペースではやはりエイドステーションが撤収した後を通り過ぎることになります。持参した食事や飲料を摂取し、一歩一歩、足を進めるのは、孤独感もあり、焦燥感もあったことでしょう。
 「でも、一歩ずつでも前に進んでいれば、いつかはゴールできますからね。その思いだけで頑張りました。」

 伴走してくれたのは、ご家族と友人だけではなかったようです。
 「実は先にゴールしていた海兵隊の方が、私のことを聞きつけて戻ってきて応援し続けてくれたんです。一般道路はすでに開放されて交通量も多くなっていたのですが、そこを交通整理してくれたりして。ほとんど黙って車側に立って見守ってくれる感じだったのですが、まだ皆さんがゴールで待ってくれていることも実感し、最後の力を振り絞ることができました。」
 ご家族や友人、今回の挑戦をサポートしたジャルパックのスタッフらに見守られながら、島袋さんは見事、完走を果たしました。「応援、ありがとうございました!」と、最後の力を振り絞るように、サポートしてくれた皆さんに感謝の気持ちを述べた島袋さん。そこに再び現れたのが、伴走した海兵隊の方とそのお仲間でした。
 「彼がクリスタルのカップを私にくれたんです。私の挑戦が彼らに勇気を与えたということで、何かの記念のカップを自宅に取りに帰って、わざわざゴールした私に手渡してくれた。その時は朦朧としていたし、ろくにきちんとお礼を言えなかったのが心残り。でも本当に嬉しかったです。」
 
海兵隊(後から解ったことですが)の男性1名が私服で伴走していました。再びゴール地点に戻ったときには、素晴らしく美しい日没となりました。すでに撤去作業が行われていましたが、島袋さんが近づいてくると、ホノルル警察、消防、ガードマン、通行人、ホノルルマラソン関係者など総勢30名が、彼のゴールを拍手と涙でお迎えしました。私自身も、涙が止まりませんでした。島袋さんは、明るくみんなに『応援ありがとうございました』と丁寧にご挨拶をされていました。」

 「その場所で、伴走して来た海兵隊(アシュレーというファーストネームだったと記憶)から、クリスタルのジャーが渡されました。『あなたのスピリットは本当にランナーたちの心をうちました。あなたのすばらしいアロハ・スピリッツと勇気に感謝し、これを送ります』という言葉を添えて...。」

最高の感動を、ありがとうございます!!五体満足で走れるわが身の傲慢さが悲しくもあり、また改めて反省させれくれる。

by aloha-street
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