バンクーバー新報 ジャパニーズ・テリー・フォックスが帰ってきた!24時間マラソンに登山、パワーアップした義足のランナー
▼バンクーバー新報:
ジャパニーズ・テリー・フォックスが帰ってきた!
24時間マラソンに登山、
パワーアップした義足のランナー
沿道の声援の背中に笑顔でゴールを目指す島袋さん |
沖縄県うるま市立具志川小学校の校内マラソンに参加(2006年3月3日) |
ホノルルマラソン初完走までの道のりを記録した著書 |
◆昨年のタイムを約50分も短縮!
昨年のバンクーバー国際マラソンで、沿道の熱い声援を浴びながら8時間40分44秒でゴールした、両足義足の島袋勉さん(43)がパワーアップして帰ってきた。この1年の間に、オーストラリアのゴールドコースト、NYシティ、ホノルルと3回の海外大会に、国内では久米島マラソンの他、なんと長野と愛知で行なわれた 時間マラソンにまで参加。その上、ハーフや10Kmクラスの短距離は数えきれないほど出場してきた。「普段からなるべくエレベーターを使わず階段を利用したり、自転車で通勤したりしています」と、相変わらず努力をたゆまない。24時間マラソンでは、80Km前後も走った。その成果は今年の記録を見れば一目瞭然。7時間33分44秒と、昨年のタイムを1時間近くも短縮した。
◆ドキュメンタリー番組にも出演
沖縄で大規模な車両点検の会社を経営する島袋さんは、5年前、鉄道事故で両足を膝から失った。足だけでなく、事故の衝撃で記憶障害という重大な脳障害も被ったが、持ち前の『あきらめない』精神で、「社会復帰は無理」と告げた担当医も驚愕するほどの奇跡的な回復を遂げ、現場に戻った。そして『あきらめない』習慣を付けるために始めたのがマラソンだ。ホノルルやバンクーバーでの島袋さんの活躍ぶりは日本のテレビ局にも知れ渡り、昨年、フジテレビの人気番組『奇跡体験!アンビリバボー』でも取り上げられた。現在は教育委員会からの要請で、小中学校で講演することも増えている。
◆ハプニング勃発「妹の姿が見えない!」
今回のレースには、妹の栗田智美さんご夫妻が伴走したものの、工具係のはずだった智美さんが遅れてはぐれてしまい、「義足の微調整に必要な工具がなかったので、足を痛めてしまった。遅れるのはいいけど、工具だけでも渡せよって感じです(笑)」。とはいえ、兄に遅れること約9分、7時間42分40秒のタイムで智美さんがゴールに姿を見せたときには、島袋さんもほっとした笑顔を見せた。これまでもずっと兄のマラソンを見守ってきた智美さんにとっても嬉しい悲鳴だろう。そんな仲の良い島袋兄妹は昨年12月、共著で『義足のランナー/ホノルルマラソン42.195Km への挑戦』(文芸社)を上梓した。
◆マラソンを通じ世界各地で交流が
昨年は、島袋さんの妻・順子さんがブログに書き込んだのをきっかけに、バンクーバーに住む日本人学生やワーホリの若者らが応援団を結成、情熱的な交流が生まれた。その中の1人で、今もバンクーバーに残る松田義範さんは今年も沿道に駆けつけた。ゴールで島袋さんを迎えた村本修さん・喜子さんご夫妻(神奈川県川崎市)は、ホノルルマラソンに参加したときに島袋さんと知り合い、その後沖縄へ訪ねるなど親交を深め、バンクーバーでの再会が実現。修さん自身もフルに挑戦して4時間4分23秒で見事完走し、そのままマラソンの同志をゴールで待ち続けた。
~あきらめない男・島袋勉物語続編~
次なる夢はエベレスト登頂!
◆子どもたちに問いをきっかけに
とある小学校での講演会で子どもたちに「島袋さんの夢は何ですか」と問われた。「そういえば夢は何だったろう」。少年時代から振り返り、一つひとつ検証していった。そして、エベレスト登頂という夢を思い出した。「足が無くなったくらいで夢をあきらめたらいけない!」。その日以来、エベレスト登頂を目標にトレーニングを開始した。
驚きの連続だった。専門ショップに出掛け、登山の相談をした店員は「凍傷で足の指をすべて失ったのにも関わらず、『登山の仕方を工夫しなくては』と言うんです」。島袋さんに同行してくれることになった登山隊の仲間も、山で婚約者を亡くしたり、仲間が目の前で滑落して埋葬したなど、あまりに壮絶な体験ばかり。それでも皆、山の虜になっている。「始めはみんなおかしいんじゃないかと思って(笑)」。ところが、アコンカウアを下山する頃には、島袋さんもしっかりと「その仲間入りを果たした(笑)」
◆水や空気、日常に関する気持ち
島袋さんがエベレストを目指していると聞いた専門家が勧めてくれたのが、アコンカウアだった。体力的なことは「マラソンができるんだから大丈夫だろう」と、意外にすんなりOK。さすが山の世界は懐が広い。アコンカウアは奇しくも5000m付近で肉体の膨張に義足が耐えられず、登頂は断念した。しかし、年内は日本国内の山々を冬山を含めて片っ端から登り、来年は、リサーチとしてエベレストのベースキャンプまで登ることになっている。登山用の義足だけでなく、ピッケルやアイゼンも特別なものが必要で、用具の開発も必要。「登山に比べれば、マラソンなんて楽だと思える。山は、食べ物だって運ばなければないし、水だって氷を溶かさないと飲めない。標高が高いとすぐに息も切れる。登山を始めて、日常生活にある当たり前のことに感謝するようになった」
「マラソンでも登山でも、辛ければ辛いほど、厳しければ厳しいほど、あきらめない習慣をつけるという目的に符合する。苦手なものほど挑戦して克服したい。それができたら何でもできるような気がするんです。僕の姿を見て、子どもたちやいろんな方々が自分もがんばろうと思ってもらえたら嬉しい」。世界の登山家としてその名を馳せる日も、そう遠くはないようだ。
(文・藍智子/写真・菊池友理)
長い戦いがついに終了!去年の記録を1時間近く縮めてのゴール |
里美さん「とても速くて全然追いつけなかった(笑)」 |
標高6.962m、アジア大陸以外で最も高い山、アルゼンチンのアコンカウア5000m付近で |
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