Tough as they come "決してあきらめない"
GOLD COAST The Bulletin NEWSPAPER OF THE YEAR Monday,July 4,2005 page4
Tough as they come (決してあきらめない)
両足を失っても、日本の鉄の男は決してあきらめなかった。
島袋氏はマラソン完走という難題でへし折れるような人ではなかったのだ。
彼は事故で両足を失いながらもこのマラソンに参加した勇気ある42歳の男性だ。そして7時間58分12秒で完走した。
彼にとっては非常に厳しかったに違いない。しかし完走する、という彼の決意が揺らぐことは一度もなかった。島袋氏の走行時間は残念ながら公式に決められている所定時間7時間40分を若干越えてしまった。しかし島袋氏にとって時間など関係ない。彼はただ最後まで走りたかった、それだけだったのだ。
およそ50人の観客や競技員らが大歓声でゴールラインにたどりついた彼を迎えた。今回のレースの最後の走者であった彼がゴールラインを超えた瞬間、多くの人達が彼を護るがごとく囲んだ。目に涙を浮べた島袋氏を、拍手と歓声が包み込んだ。
島袋氏は日本の沖縄県出身である。走行中、足が激しく痛んだがリタイアすることなど夢にも思わなかったという。「自分の足が義足であっても、あきらめない。義足だからこそ、痛くて走ることが苦手になったマラソンを完走しようとする動機になったのです。」と、彼は言う。
事故以前、彼はマラソン大会に出たことは一度もなかったという。
昨日のレースは島袋氏にとって3度目であり、ゴールドコースとで開催されたレースには初出場だった。
「マラソンに挑戦してみようと考えたのは、走る事が一番苦手になった。だからもし自分が苦手なマラソンを完走できたら、何でもできるだろう、そう思ったのです。」
レース前、島袋氏は7時間以内でのゴールを目指していた。
残念ながらタイムはオーバーしてしまったが、彼の笑顔を見れば7時間内に走れなかたことなど問題にしていないようだ。
走行中、義足の接続部に汗がたまり、走るスピードが落ちた。義足内部に溜まった汗を拭うため何度も止まらなければいけない場面もあったという。レース参加までに彼は多くの訓練とリハビリを重ねてきた。
「最高にいい気分です。とにかく、まず休息したい。美味しいものが食べたいですね。」と、島袋氏。レース後はゆいっくり休んで、ステーキを食べたいと話していた。
レースの競技員らは島袋氏になるべく凹凸が少なく走りやすい道路上を走らせてくれたという。
「たくさんの人が励ましてくれました。本当に幸せでした」
GOLD COAST AIRPORT MARATHON
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島袋勉さんへ
新聞の日本訳どうもありがとうございます。
読みました。僕は新聞が好きです。
外国の新聞は読んだことがなかったので、何て書いてあるのか分らないので、質問しました。
おもしろかったです。
どうもありがとうございます。
大城 光