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小さなことの気付く心を育ててきたゆえの強さ・・・喜び

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島袋 奪三振締め「歴史変えた」 第92回全国高校野球最終日 
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個々の力だけでなく、小さなことの気付く心を育ててきたゆえの強さ・・・

我喜屋監督が常に語られてきた・・・「小さなことに気付けない人間は大きな仕事はできない・・・」

小さなことに気づく心を育て、習慣にしてきたゆえの快挙!

新聞記事より↓2010夏の甲子園 優勝後記録

<夏の高校野球>興南、重圧克服し初V 沖縄に新たな歴史

 こん身の140キロ。興南のエース島袋洋奨(3年)が投じた今大会783球目の速球に相手打者のバットが空を切った。マウンド近くで抱き合う島袋と捕手・山川大輔(同)を中心に歓喜の輪が広がる。新たな歴史を切り開いた瞬間だ。

 沖縄は米国統治だった1958年夏、首里が甲子園に初出場。その後、68年に興南が4強入りするなど着実に力を付けた。だが、72年の本土復帰後、沖縄水産が90、91年夏に決勝に進み、センバツでは沖縄尚学が99、08年大会を制覇。近年は野球が年中できる環境を生かし、「強豪県」の評価は定着。今春センバツを制し、「優勝候補の本命」の重圧まで背負った。春の紫紺の旗に続き、夏の深紅の優勝旗まで持ち帰れたのは、その重圧に打ち勝てたからだ。

 4カ月前のセンバツ決勝当日。早朝恒例の散歩の最中、我喜屋優監督(60)はつぼみだった桜が満開になったことに気付き、選手の成長を重ね合わせた。連覇という新たな目標ができた時、あの桜を思い出す。「花はいずれ散り、また咲く。支えるのは枝であり幹。また、根っこから鍛えよう」と誓った。

 準々決勝、準決勝と序盤の劣勢をはね返し、頂点に駆け上がった。やるべきことをやった結果だ。センター中心の打撃、無駄のない走塁、中継プレー。我喜屋監督は「甲子園で対策を立てても遅い。沖縄を出る時には準備を終えていないと」と言う。徹底した訓練のたまものだった。

 ただ、個々の力だけでは勝てない。朝の散歩はゴミ拾いが日課だ。我喜屋監督は「小さなことに気付けない人間は大きな仕事はできない」と話す。「春の優勝の後、一人一人が自覚して一からやり直した」。我如古盛次主将(3年)らのこうした思いが、快挙を生み出した。【堤浩一郎】
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