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興南・我喜屋監督の細める目が印象的な・・・2010年夏!

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「ちびっこ軍団がこんな大きことをやるとは思わなかた・・・」と語る我喜屋監督の細める目が印象的!

幼なじみの島袋くんや慶田城くんは一緒に野球をしてきただけに、今年の夏は忘れられない夏。支え助け合うチームの信頼関係は、やるだけの練習をやってきたから・・・。

投手・島袋くんと捕手・山川くんのコンビの良さも信頼関係の美しさがよくあらわれていました。決勝戦最後の1球の後の島袋くんと山川くんの姿も感動的で・・・。主将の我如古くんもいつもそうですが、どれほどの快挙をなしても自分を誇るのではなく応援してくれている方や支えてくれている感謝の気持ちが基盤で爽やかな興南ナイン。我喜屋監督の思い・姿勢から、それぞれが学びさらに成長した姿が輝く今年の夏の興南野球に感謝しています。

(↑写真:大きな力・捕手の山川くん)

新聞記事より↓2010年投手島袋くん記録

島袋783球!興南春夏連覇!沖縄に初、深紅の大旗...夏の甲子園最終日

 ◆第92回全国高校野球選手権大会最終日 ▽決勝 興南13─1東海大相模(21日・甲子園)深紅の大優勝旗、ついに沖縄へ―。興南(沖縄)が東海大相模(神奈川)を13―1で下し初優勝、春夏連覇を達成した。1958年に首里が初出場してから52年。沖縄県勢として初めて夏の頂点に立った。春夏連覇は松坂大輔(現Rソックス)を擁した98年の横浜以来、史上6校目となる。トルネード左腕・島袋洋奨(ようすけ・3年)は1失点完投。全試合先発での年間11勝は史上初の快挙だ。

 琉球の風が、小さな大エースの背中を押した。9回2死。141キロの高め直球で空振り三振を奪うと、島袋は黄色いグラブをたたいて笑顔を見せた。山川大輔捕手(3年)と抱き合った。歴史が動いた。春夏連覇だ。沖縄県勢が悲願だった夏の頂点に上り詰めた。

 「県民のみなさんも喜んでくれていると思う」。4万7000人のスタンドを見渡し、海の向こうへ思いをはせた。6試合で783球を投げた主役は「暑い中、一生懸命な応援、本当にありがとうございました」と丁寧なお礼を忘れなかった。

 初回、先頭の渡辺勝(3年)に直球を中前に運ばれた時、山川と目が合った。「変化球攻めで行こう」。1死一、二塁から大城卓三(3年)をツーシームで併殺打に打ち取り、この日の投球スタイルが決まった。

 センバツが終わったころが一番辛かった。不安だった。「直球勝負だけで夏は勝ちきれないのではないか」。山川と時間をかけたのが、落ちる変化球の精度を高めることだった。9回以外は変化球勝負を徹底。2年春の初めての甲子園では19奪三振で敗れたが、ラストゲームは最少の4奪三振で勝った。我喜屋優監督(60)は「(今までの)逆のパターンでいった。これが島袋洋奨」とうなった。

 夢も変わった。2年までは投球フォームへの研究が高じて、教員やスポーツトレーナーに興味を持っていたが、3年のセンバツ以降はアンケートの夢の欄に「プロ野球選手」と記した。「今すぐじゃない。でも子どものころにいいなあ、と思っていた気持ちが、少し出てきたから」と心の変化を口にした。

 夏の県大会前、送り迎え役の母・美由紀さん(47)とは車中で会話はほとんどなかった。ところが甲子園に出発する朝。兄・隼平さん(21)、姉・絢乃さん(20)、そして母とギュッと握手して出かけた。小学校時代、登校前に必ずしていた島袋家の儀式だった。言葉以上の力をもらったエースは「ありがとうと言いたい」と、家族の支えに感謝した。

 沖縄に帰ったら、行きたいところがある。幼なじみで今大会13打点と援護してくれた慶田城開(3年)と昔遊んだ今帰仁村(なきじんそん)の海。「プレッシャーのおかげでここまで来れた。みんなと喜び合いたい」。ふるさとは大騒ぎだろう。夢を形にしたヒーローを、きっと温かな笑顔で待っている。

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