人権獲得の闘いを続け「沖縄人権協会」が今年で設立50年
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沖縄人権協会が今年、設立50年を迎えさまざまな思いを聴かせていただきました。
第二次世界大戦以降さまばまな経験をしてきた沖縄で人権獲得の闘いを続けてこられた方々。
弱い立場になった時に,それまで考えてもいなかった人権が侵害されるようなことが現に生じることは私も事故後,重度障害を被り本当の意味で分かったような気がします。人権について深く考える日々となりました。
来る5月25日に那覇地方法務局で那覇人権擁護協議会依頼で講演に向かいますが,これまで人権獲得のために長年取り組んでこられた80歳の福地曠昭理事長の言葉に重みを感じています。
***********琉球新報********
沖縄人権協会・福地曠昭理事長に聞く 人権獲得の闘い、今も
「沖縄が持つ人権感覚は国際的に通用する」と話す福地曠昭理事長=那覇市天久の琉球新報社 |
復帰前の沖縄は、米軍による凶悪犯罪の多くが検挙されず、軍法会議も無罪判決が相次いだ。県外に行くにはパスポートが必要な時代に、米軍から「好ましからぬ人物」とされた人にはパスポートが許可されない渡航拒否も相次いでいた。
「日本の憲法もアメリカの憲法も適用されず、沖縄は谷間に置かれていた。人権侵害があっても泣き寝入りしかできず、人権不毛の地だった」。自身も渡航拒否されたり、CIC(米軍諜報部)の尋問を受けた経験を持つ福地さんは市民が立ち上がって抵抗する必要性を感じていた。
復帰運動の中核を担った沖縄教職員会で活動していた福地さんは、市民による組織を立ち上げるために琉球新報、沖縄タイムスの編集局長、弁護士、立法院などに呼び掛け、1961年4月、沖縄人権協会が設立された。
結成されるとすぐに米兵の妻子置き去り、警官の職権乱用、女性従業員の人身売買、婦女暴行など多数の事案が寄せられ、5年で500件に上った。特に米軍施政権下にある沖縄から日本政府を被告に、日本国憲法で保障されている基本的人権を求めて東京地裁に提訴した沖縄違憲訴訟(65年)での沖縄人権協会の存在は大きかった。
復帰から39年たった今も米軍基地が沖縄に集中し、沖縄県民の命が脅かされている現状を福地理事長は「日本は憲法の上に日米安保条約がある」と表現する。「沖縄は占領され、人権が侵された経験があるから、人権意識が高い。県外からは見えにくい安保や日米地位協定の問題は沖縄から言い続けないといけない。東アジアの平和のためにも沖縄の国際的人権感覚を生かすときだ」と強調した。(玉城江梨子)
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