その時期を乗り換えた笑顔を見せてもらいどうもありがとうございます
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「最初の1か月は、毎日を生きるのでいっぱいいっぱいだった」
その時期を乗り換えた笑顔を見せてもらいどうもありがとうございます。
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*****スポーツ報知*****
気仙沼向洋、昨夏準Vの底力戻った!...宮城大会
待ちに待った瞬間だった。最終回。右腕・高橋将大(3年)が最後の打者を空振り三振に切って取った。昨年準優勝の強豪校。例年ならば初戦突破は通過点だが、父母の中には涙を流す人もいた。「いろんな思いを持っていたと思う。大きな1勝でした」と川村監督。それだけ苦しい日々だった。
「命をもらった感じです」。三浦岬主将(3年)は振り返る。地震発生時、野球部は練習中だった。川村監督らの指示に従い、全員で高台へと走った。「途中、スーパーがのまれるところが見えた」と三浦。すぐ背後に津波の恐怖を感じながら、最終的には約5キロ離れた中学校まで必死に避難。学校に残った川村監督も屋上で何とか津波を逃れた。
部員32人中9人の自宅は全半壊。三浦主将は「最初の1か月は、毎日を生きるのでいっぱいいっぱいだった」と言う。それを思えば、この舞台に立てただけでも奇跡だ。
練習を再開したのは4月10日。しかし、校舎は4階まで水没し、グラウンドも壊滅状態だった。3校に分かれて授業を受け、放課後に本吉響のグラウンドに集まり練習を実施。一般の人や、これまで交流のなかった全国の野球部からはグラブやバットを寄付された。試合前のミーティングで、ナインは「感謝しながら、自分たちが出せる力を出そう」と話し合った。
スタンドには約100人の応援団も集結。太鼓などの道具はすべて流されたが、周囲の寄付で少しずつ集まった。4日には、OBから「復興へ」と記されたのぼりも贈られた。チャンスには「わっしょい」を繰り返す伝統の応援で選手を鼓舞。「声を聞いて泣きそうになった」と三浦。まさに総力で勝利をつかんだ。
試合後、ナインは練習グラウンドを借りている本吉響の応援のため、別会場に駆け付けた。どんな時でも忘れることのない感謝の気持ちはナインを強くした。前日の開会式では、津波で流された準優勝盾を再授与されたが、三浦主将は「今年も、まずはそこ(決勝)まで目指したい」と宣言。最高の恩返しができるまで突っ走る。
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