「震災を乗り越えてよくやってくれた」と語る百々智之監督の思い
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「震災を乗り越えてよくやってくれた」と語る百々智之監督の思いを考えています。
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*****スポーツ報知*****
志津川、南三陸町に笑顔咲かせる1勝...宮城大会
雨上がりの青空の下に、志津川ナインの笑顔が咲いた。雷雨により2度の中断を経た熱戦を制した選手たちは、校歌をKスタに響かせた。その姿をまぶしそうに見つめた百々(どうどう)智之監督(32)は、「震災を乗り越えてよくやってくれた」と目を細めた。
校舎のある南三陸町は、津波で死者・行方不明者1000人を超えた。震災当時、練習中だったナインは高台に避難して無事だったが「目の前で家や車が流されて頭が真っ白になった」とエース・佐藤祐大(3年)。それでも、血だらけの老人を背負い、必死に保健室まで運んだ。
本拠地も失った。4月下旬、練習グラウンドには仮設住宅が建った。"仕事場"のホームベース上に家が建った三浦亮太捕手(3年)は「ショックだった。でも、それが街の人たちのためになるなら」。この日は、先制打で地元の被災者に勝利をプレゼントした。
帰ってきた仲間もいる。震災で自宅が全壊した阿部浩夢(ひろむ)右翼手(3年)は、仙台市内の兄の家に避難し、仙台東に転校した。だが、「やっぱり志津川で野球がしたい」と、選手登録締め切り前日の6月21日に再転校。無安打に終わったが、「やっとチームに帰って来られた気がする」とユニホームをうれしそうに見つめた。
次戦は今春センバツ出場の強豪・東北だ。それでも指揮官は「今まで地域、全国からの応援に支えられてきた。負けるつもりはない」。多くの思いを背負う志津川の夏は、まだ終わらせない。
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