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ピストリウスの訓練と自分への挑戦 素晴らしいと思います。

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ピストリウスの訓練と自分への挑戦 素晴らしいと思います。夢に向かう人がいてこそ、歴史が誕生!おめでとう!

*****星野恭子●取材・文*****

夢の実現、歴史の誕生~義足のスプリンター、オスカー・ピストリウスの挑戦~

 

2011年世界選手権のオスカー・ピストリウス選手

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2011年世界選手権のオスカー・ピストリウス選手

 陸上選手なら誰もが憧れる夢の舞台、世界陸上選手権が今日開幕した。世界各地のトップアスリートが韓国・大邱(テグ)の地に集う。南アフリカ代表のオスカー・ピストリウス(24歳)もその一人。ただ彼は、他の選手とは少しだけ違う道を辿り、この舞台にやってきた。

 彼は義足のランナーだ。1986年、脛(すね)の骨が未発達で生まれ、すぐに膝から下を切断。彼が初めて立ち、歩いたのは義足を使ってだったが、彼にとってはそれが紛れもなく「自分の足」だった。スポーツ好きの両親の血を受け継いだ彼は、幼少時から自然な形でさまざまなスポーツに親しみ、テニスや水球では州代表にも選ばれるほど、天性の素質を垣間見せる。

 高校ではラグビーを始めたが、ある日、右膝を負傷。リハビリ中に陸上競技と出会う。この時、スポーツ用に改良されたカーボン製の板バネ義足とも出会い、すぐにスプリンターとしての才能を開花させる。2004年には、試しに参加した国内の障害者大会で100mと200mで好成績を収め、同じ年、アテネ・パラリンピックにも初出場を果たした。100mは3位、200mは当時の障害者世界新記録(21秒97)で金メダル。以来、400mも含めたスプリント系3種目で次々と障害者記録を塗り替えていく。

『オリンピックに出たい』――彼が抱いた新たな夢はアスリートとして自然なものだった。2007年、初めて健常者の国際大会に出場すると、400mでは2位に入り、世界の注目を集める。北京オリンピック出場への可能性も見えてきた。

 だが、このレースのゴール前直線で6人を抜き去った「驚異的な伸び」に対し、「義足は人間の足以上の反発力がある」「乳酸など疲労物質が貯まらずペースダウンしにくい」など義足ランナーの有利性が取りざたされるようにもなった。事態を重視した国際陸連(IAAF)はドイツの専門家の調査結果を受けて、競技規則に「バネや車輪など人工的装置の使用禁止」といった項目を新たに追加。この結果、義足ランナーのピストリウスはIAAF主催の大会に出場できなくなってしまった。

「ルール違反を犯してまで陸上を続けたくない」と、彼はアメリカで受けた機能テストなどを根拠に、スポーツ仲裁裁判所(CAS)への提訴に踏み切る。CASは数カ月に及ぶ審理の結果、「義足が人間の足よりも優位であるという十分な証拠はない」として、ピストリウスの国際大会出場を認める裁定を下した。

 こうして、彼は北京オリンピック出場の可能性を取り戻したが、標準記録を突破できず、出場は叶わなかった。心機一転臨んだ北京パラリンピックでは独壇場の活躍を見せ、スプリント系で3冠に輝いた。

その後も『オリンピック出場の夢』を胸に厳しいトレーニングを続け、故障やアクシデントも乗り越えて自己記録を伸ばしていく。今年7月には、イタリアの大会で45秒07の自己ベストを記録。世界陸上の標準記録も突破し、大邱大会への切符をつかみ取った。

「メジャーな国際大会で世界のトップ選手たちと戦える日をずっと夢見てきた。代表に選ばれたことを心から誇りに思う。ハードな練習を続け、大邱では最高の走りをしたい」

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