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リクエストがありました新刊「夢をあきらめない」あとがき

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 リクエストがありました新刊「夢をあきらめない」あとがき

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あとがき
 2001年、私にとって衝撃的な年となりました。
 20歳で会社を創業した私は、ITに特化して会社をさらに発展させようと考え、IT技術先進国であったアメリカへ、二度目の視察にでかけました。
 視察を終え4月10日ロサンゼルスから成田へ帰国。翌日、羽田から沖縄へ戻る予定でした。到着したその夜、千葉県の船橋市内で事故に遭あ ってしまったのです。
 救急病院のベッドで目覚めたときには、何が何だか判りませんでした。しかし現実は、言わば突然の三重苦となっていたのです。膝ひざ下したからの両足切断、頭は高次機能障害、目もモノがダブってしまう複視し 、こんな状態でした。
 傷の激しいい痛みと、幻肢痛。頭と目の障害。でもそれ以上に私の胸には、「会社経営で支援してきてくれた方たち、社員、家族に迷惑はかけられない」という思いがありました。特に会社発展のために融資の保証人となり経営を支援してくれた方へ「迷惑をかけたくない。」と強い気持ちがありました。会社を経営している以上、自分にはどうしても果たさなければならない責任がある。「そのためには一日でも早く歩けるようになり会社に戻りたい」と、必死な思いでした。
 歩けるようになるために懸命に訓練をしていると、炎症が生じたり、神経腫などの問題もあり再手術を予定していました。しかし入院から20ヶ月目に会社が倒産の危機に直面していると知り、医師に相談し退院を希望して急遽、会社に戻りました。
 会社に戻ると確かに私の前には、正直過酷な現実がありました。
会社倒産の危機、さらには身体的な障害、記憶障害でした。でも、支えてくれた方に迷惑をかけることだけはしたくないと、必死な思いからどうにかできる方法を考える必要がありました。
 突然の事故で思いもしなかった新たな身体的な状態になり、最初は一歩も歩けなかった私です。それでも「責任を果たすためにまず出来ることをしょう」「工夫してみよう」と出来ることから取り組みました。「現状を受け入れ、みとめたうえで、あきらめずにできる方法だけを考え努力を続ければ、きっと状況はよくなる。」と確信していたからです。
 思えば、幼少のころから母がよく言って聞かせてくれたあの、「よく考えればわかるのよ」「工夫すれば出来るの」という言葉が私の心の支えになったのだと、母には感謝しています。
 本書で紹介しましたが、その他にもたくさんの方たちからの、あたたかい助けや支えをいただき、現在の私がいます。
 その恩返しの意味もあって、全国各地からお声をかけていただいた時には、喜んで出かけて行きお話をする機会をいただいています。
 そうした講演会も1,000回を超えました。
 その会場で、参加者の方からこんなご質問が、よくあります。
「島袋さんは、なぜマラソンや登山を続けているのですか」
「島袋さんの生き方や考え方は、子どもの頃の影響ですか」
「どんな子どもでしたか、どんなことを教えられましたか」
 皆さんのこう言った疑ぎ 問もんや質問に、何とかお答えが出来ればいい
と思っていたところ、ごま書房新社からお話があり、この本を出版することになりました。そして最後になりましたが、出版社とのご縁えんをむすんでくださった志賀内泰弘さんにあらためて感謝いたします。
 本書が、皆さんに「夢をあきらめない」ために少しでもお役に立てればと願っています。最後までお読みいただきありがとうございました。 
                                          平成25年3月
                                            島袋 勉

夢をあきらめない 義足の挑戦者

夢をあきらめない 義足の挑戦者

島袋 勉

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