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しつもんの返事です

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nagasekita   201410 009.jpg  「夢をあきらめない」 ふり返り

つとむさんは、足が、なくなったとき、もう いっしょうあるけないと思ったんですね。でも、ぎそくであるくのは、すごいと思いました。
つとむさんは、足をぬうまえ、足がなくなった足は、もうこなごなで、ぜんぶかけらも、ないんですか。ぎそくをはいて、れんしゅうしたのは、なんかげつくらいですか。けっかんとかもぜんぶつながっていて けったかんとかは、こなごなになったんですか。
(東大阪市立長瀬小学校3年生)
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★しつもんの返事です。

 はい。最初、両足がないと歩けないと思いました。
 事故の前後や、救急車で救急医療センターに運ばれて手術を受けた時のことは頭を強く打っていたので自分では何も覚えていません
 事故の連絡を受けて最初に病院に到着した私の妹でした。手術が終わった後病院側から、切断された部分の足の火葬は病院の付属施設で行ってもいいか?確認があったそうです。それで私は見ていません。骨はきちんと処理をしないといけないきかりがありますので火葬され、今はかけらもありません。

 義足をはいて、歩く練習は何カ月もしました。最初は義足を履くだけでも痛くて、立つとさらに痛くて、歩くまでに時間がかかりました。それから平面はどうにか歩けるようになっても、少し坂道になっていたり、凸凹があるとすぐに転びそうになり、何度も転びました。それで転んで、立ち上がる練習から始めました。皮膚に傷ができたり炎症で熱が出て義足を履くことを禁止されたりしました。
 でも練習を続けてとても痛いですが事故から4カ月後には自分一人で義足を脱ぎながら、歩けるようにはなりました。義足で歩くためには、いろいろ工夫しなければんばらないので歩く練習はずっと続けました。
 血管も切れた部分とかは手術してもらっていますが、自分では何も覚えていません。

身体は本当に大切です。みな繋がっていますので手術の後も、今もまだいろいろな痛みがあります。
だから身体に良いものを食べ、身体に悪い食べ物を食べないようにして、健康に気をつけています。
 
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