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夢の五輪へ、挑戦再び 22日ロンドンマラソン出走
濱崎達規選手 公務員ランナー(南城市役所)
2時間11分26秒のマラソン沖縄県記録保持者、濱崎達規選手(29)=南城市役所=が22日、2018年度最初の大会でロンドンマラソンに挑む。主将も務めたマラソン強豪の実業団・小森コーポレーション(茨城)に6年間在籍した後、17年4月から沖縄に拠点を移しレースに臨み続ける濱崎選手。今回出場するロンドンマラソンはワールドメジャーズにも含まれる世界6大大会の一つ。20年東京五輪へ向けた弾みとなる記録を狙い、「経験を積むのではなくて、結果を出しにいく」と表情から覚悟がのぞく。
レースには世界からも強豪が顔をそろえる予定だ。5000メートルや1万メートルなど陸上長距離界で金メダルを量産し、マラソンへ本格参戦するモハメド・ファラー(英国)や現在マラソンで2時間切りに最も近いとされるエリウド・キプチョゲ(ケニア)も出場が見込まれている。
いつも「沖縄の子どもたちの夢や目標でありたい」と口にする「快足公務員ランナー」が、ロンドンの地で躍動を期す。
実業団を辞め、沖縄に戻り最も変わったのは練習環境だ。チームや指導者のつくったメニューはなく、一から自らで組み立てる。全国で戦ってきた第一線を退き、一市民ランナーからスタートした昨年4月。決して恵まれた環境とはいえない中、走る度に国内外のレースでしっかり記録と成績を出してきた。県記録の更新は昨年12月下旬。実業団時代に出した自己ベストを46秒縮めた。それはアスリートとして再び五輪を視野に入れる快走だった。(屋嘉部長将)
◆濱崎、次々好タイム この1年、大きく成長
■伸び続けた記録
長距離の名門・亜細亜大で健脚を磨いた後、実業団の強豪小森コーポレーションに進んだ。主将を務めるなど、全国の中でもまれる中で、自然と五輪を描いた。しかし2016年リオ五輪マラソン競技の代表選考だった東京マラソンで16位に沈み、沖縄に戻る決断をした。
一市民ランナーとして臨み始めた矢先に、長野マラソンで5位に入り、真夏の北海道マラソン(8月)は招待選手として出場し6位に入賞した。さらに10月には日本陸連からブエノスアイレスマラソンへ推薦で派遣される沖縄陸上競技協会で初の快挙を果たし、ここでも8位と入賞が続く。
12月のNAHAマラソンは歴代2位、県勢最高位タイムで優勝し、2週間後の防府読売マラソンは2時間11分26秒で自身が持っていた県記録(2時間15分49秒)を大幅に更新し、2位に入った。「社会人やアスリートとして大きく成長した1年」と振り返る。
■子どもたちを支えに
沖縄に戻ってからは子どもたちの指導にも当たっている。実業団時代に月900キロ走っていたが現在は多くても600キロ。距離は大きく減った。それでも一定の距離を実業団当時と同等またはそれ以上に早いラップに設定し、量よりも質を向上させる。
さらに子どもたちへの指導が、レース中の粘りを支えるメンタル向上にひと役買っているという。教え子たちの成長は指導への楽しみと同時に、うまく教えられず、落ち込む日もある。「いつの間にか指導することが競技にもいい影響を与えている。レースの時にも子どもたちにどのような経験を持って帰られるかと考えるようになりました」
限られた練習時間の中で結果を出すことを求めている。そこにあるのは信念だ。「仕事は未熟でも陸上だけは負けられない。一人のアスリートとして、レースのスタートラインに立ったら絶対に負けたくない」と強い気持ちを胸に持つ。
■東京への思い
県記録樹立は大きなターニングポイントになった。実業団時代にも届かなかった五輪出場が鮮明な目標に。東京五輪出場へは19年に行う予定の国内の強豪が集う代表選考会「グランドチャンピオンシップ」に出場するなど道のりは厳しい。難しいからこそ、沖縄を背負い、世界を見据える今の状況に誇りを感じている。目指す場所は一度はあきらめた「大きな夢、競技人生の最終地点」の五輪だ。ことし2月の東京マラソンは、けがもあり競技人生初の棄権となった。そのため、ロンドンは出場だけでは意味はないという。「東京マラソンからの復活ののろしを上げる意味でも2時間13分以内を目指したい」。意気込みを語る言葉に熱を帯びる。
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