オキナワグラフ MAY.2009 今月の顔 島袋勉 vol.3
オキナワグラフ MAY.2009 今月の顔 島袋勉 vol,3
代表取締役 島袋 勉
経営者として本業と両立させるためにどのような体制づくりをされていますか?
島袋 そもそも私がこの仕事をはじめたのは25年前で、一般の人にも分かりやすい車検を心掛けて会社を運営してきました。事故から復帰した後、県外から多くの講演依頼をもらうようになったのですが、本業も忙しく、当初は思うように応じられませんでした。実際に私が不在になることで会社の売り上げが落ち、社員の理解が得られない時期もありました。私は仕事のことを考えて、講演活動を減らすべきか悩みましたが、最初に「頼まれたら断わらない」と決めていましたし、会社の仕事は代われるかもしれないが、講演は私にしかできない。何よりも必要としている声があるのだからと、最初の1年間は、社員が自分たちで計画して仕事ができる体制づくりに力を入れました。それが軌道にのった後は、より多くの要請に応えられるようになりました。そして今では、県内外、海外を含め年間300回を越える講演を行っています。今は社員も理解を示してくれており、大変動きやすい状況ですね。
社員には常々、なぜこんな決まりがあるのかなど、ただこなすだけではなく自分なりに考えながら行動してほしいと話しています。そうすると自然に、会社をよりよくするにはこうしたらいいといったアイディアも生まれるでしょう。結果仕事が楽しくなり、お客さまにも満足を提供できると思います。考えて動くプロセスが大事だと話しています。
新たに挑戦したいことは。
島袋 エベレストへの登山も、これからの一つの目標です。そのためにに登山専用の義足の開発も専門家と共に研究していきます。私は事故の際頭を強打したため脳障害を負ってしまい、体温調整がうまくできないなどの自立神経の問題をいまだ抱えています。普通に生活しているように見えても、目に見えないところでさまざまな工夫をしています。これらを一つひとつクリアして、自分の限界を作らないようにしたい。〇〇に行けますかと誘われたときに、『いや、足が悪いので』と断わることは絶対にしたくないんです。
もちろんこれからも、自分にとって困難なことに遭遇したら、それを乗り越えるために挑戦をしていきたいと思います。前向きでいることが、私にとって一番楽に心地よく生きられる方法です。
本日はありがとうございました。
聞き手・松島弘明 カメラ・村山望
しまぶくろ・つとむ
Tsutomu Shimabukuro
1963年 沖縄県那覇市生まれ
1983年 20歳で会社創業。新システム開発により成長。
2001年 アメリカんのIT事業視察の帰り、千葉県にて踏切事故に遭い両下腿切断。高次脳機能障害(記憶障害)を負う。
2002年 事故より20カ月間入院。会社の危機のため急きょ退院。
2003年 社会復帰。同時に再び社長に就任。会社再建に立ち向かう。
2004年 11月両足義足でトリムマラソン3キロに初挑戦
同年 12月(42.195キロ)ホノルルマラソンに挑戦完走。
2005年 バンクーバー・ゴールドコースト・NYシティマラソン等海外のマラソンや各地の国内マラソンに出場しいずれも完走。
2006年 1月アルゼンチン、アコンカグア登山挑戦。
2007年 8月富士山登頂。
2008年 8月富士山麓(一合目)より登頂。
現在も「あきらめない習慣」を身につけるためマラソンと登山を続けている。
第29回(2006年度)「琉球新報社会活動賞」受賞。
第20回(2007年度)「ランナーズ賞」受賞。
著書に『義足のランナー』がある。
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