心にビタミン「いい話」 ~ 「義足のランナー」の巻 ~
プチ紳士からの手紙 平成22年3月 第37号掲載 編集長 志賀内 泰弘
心にビタミン「いい話」 ~ 「義足のランナー」の巻 ~
島袋勉さんの講演を聴きました。そして、彼の著書「義足のランナー」(文芸社)も読んで、さらに胸が痛くなりました。2001年4年10月午後10時5分頃、島袋さんは千葉県船橋市の電車の踏切事故に遭いました。意識が戻ったとき、両足を失っていたのです。
その上、脳の機能障害も起こしてしまい、つい先ほどの出来事さえも忘れてしまう状態になってしまいました。人の顔が二つにも三つにも見えたり、めまいに襲われることも。
でも、彼は諦めませんでした。妹さんのサポートを得て、猛烈な、かつ過酷なリハビリを始めたのです。切断された部分に包帯を巻くと、義足がはけなくなります。包帯なしで義足をはけば、猛烈な痛みが襲います。それでも、「傷の痛みは怖くない。怖いのは歩けなくなることだ」と歩行訓練を続けました。
歩くだけではありません。なんと、「走る」ことに挑戦します。そして、なんと義足をはいてホノルルマラソンを完走してしまったのです。でも、そこには当然のことながら、猛烈な痛みと戦いがありました。
なぜ彼は、その戦いに打ち勝つことができたのか。そこには、お母さんのひと言があるといいます。
病院でリハビリをしている時、お母さんに電話をしました。すると、
「痛い?」
と聞かれました。傷の周辺は氷で冷やし、痛み止めを飲み、座薬まで使って痛みに耐えているのです。
「そりゃ痛いよ」
と答えました。するとお母さんは、
「そんなに痛い思いをして、何も学ばなければただのバカだよ。アハハハハ」
と笑って言ってのけたのでした。何を言ってもらいたかったのかと自問したそうです。「痛いでしょ。大丈夫?」と言った同情の言葉を期待していたのでした。
その時、島袋さんはハッと気付いたそうです。「これではいけないいんだ」と。長く闘病生活を続けているとすっかり同情の言葉に慣れてしまう。この時から、日々の努力の中から、何かを学ぼうと意識するようになり、周囲の光景がいろいろな色に変わって見えるようになったといいます。
一つ、私自身にも思い当たることがありました。大病をした時のことです。治療の後遺症に苦しみ、「もう俺の人生は終わりだ」と落ちこんでいました。そんな時、お医者さんに言われました。
「病気は付き物です。なぜ、そうなったのか、気付いて学ぶことが大切です。気付くために、神様があなたを病気にして下さったのです」
その言葉のおかげで、病気の原因となった心の持ち方を変える努力をするようになりました。
もっと、もっと島袋勉さんのハートに触れたくて、ついにお会いしてきました。
待ち合わせは、沖縄の那覇市内にあるホテルのラウンジでした。ずっとサポートして来られた妹の智美さんと一緒に現れました。もちろん、両足は義足です。短パンをはいているので、膝から下には金属の義足がむき出しになって見えています。
私たちの隣の席のご婦人方は、その姿を見てギョッとした表情をされました。もちろん、島袋さんは何も気にしていません。
沖縄県のかなり多くの小・中学校で、講演活動をして来られました。もちろん、義足でホノルルマラソンを完走するまでの記録を話されます。そのため、沖縄では子供たちの方が島袋さんのことをよく知ってそうです。スーパーに買い物に行くと、見知らぬ子供たちが駆け寄ってくる。「島袋さーん」と親しげに。島袋さんは、あえて長ズボンをはかないそうです。いつも短パンで義足を見せている。それは、子供たちに「どんな苦難にも負けない心」を養ってもらいたいからだとおっしゃいます。
ある時、街で小学生が息せき切って走り寄って来ました。夢中で話し掛けられたそうです。
「僕ね、◇◇小学校の◇◇△男です。夢はサッカー選手になることです」
彼にわざわざ「将来の夢」を宣言しに来たのでした。
間違いなく島袋さんの行動は、多くの人たちに勇気を与えている。すぐそばでお茶を飲んでいるだけで、熱いものが伝わってきました。
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