多くの方に支えていただき2001年4月10日の事故より10年。
2011年4月10日
本当に多くの方に支えていただき2001年4月10日の事故より10年。
そして応援してくださったお一人おひとりに深く感謝しています。
よく質問されますが、事故直後痛みがひどく、あまり覚えていません。
妹(栗田智美)の記録や写真を見ると、かなり重症だった様子は分かるのですがこの10年、思い出す時間もなく退院後走り続けてきたような感じです。
2001年9月11日入院中の長野県身体障害者リハビリテーション病院の病室にて9・11のニュースに衝撃を受けたのは覚えています。
病室で義足もまだ出来ていなく,焦る気持ちをおさえて『自分に今,出来ること』を考えていたことを思い出しています。すぐにでも退院したいと願いつつ、退院まで20カ月かかりました。
東日本大震災による被災は状況や問題は異なりますが、今、被災地で避難されている方も先がよく分からなく繰り返す余震で焦る気持ちと不安を私も少しだけですが想像できます。
両足の義足が出来るまで、病院で組まれているリハビリの時間以外は,ずっと義足の研究をしたり筋力トレーニングや歩行訓練をしていました。退院後に備えてその時に出来ることだとの思いでひたすらやっていたように思います。
思えば、あのころ勾配のある道を歩くのは本当に挑戦でした。道路の排水のための水勾配で真っ直ぐ歩けなく必死に対処方法を考え練習しました。
あれから10年。勾配を気にしないで上半身でバランスをとれるようになりました。
多くの方に支えて頂いてきた迎える事故から10年目の4月10日。どうもありがとうございます。
今、被災地で苦境に直面している方と共にまた笑顔をとりもどせるように共に協力しできることをしていきたいです。
★「そんなに痛い思いをして、何も学ばなければただのバカだよ!」
そう言った母と実家の庭で↓
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