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*****毎日新聞*****

第84回センバツ高校野球:開会式 聖光ナイン、堂々と 震災と原発事故乗り越え /福島

3月22日(木)

 震災と原発事故を乗り越え、4年ぶりに大舞台へ戻ってきた。第84回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高野連主催)の開会式で、聖光学院ナインは出場32校中6番目に登場。観客席からひときわ大きな拍手で迎えられ、堂々と行進した。【蓬田正志】
 前年優勝の東海大相模(神奈川)や女満別(北海道)に続き、東北の高校が入場すると、同日の第1試合を控えた三重の一塁側アルプス席に「絆」の人文字が浮かび上がった。
 聖光学院は、プラカード係を務めた制服姿の菊地乃伍(だいご)さん(3年)を先頭に、佐久間悠次選手(2年)の「いち、に」の掛け声で行進。時折、笑顔も見せた。菊地さんは「大勢の観客がいて緊張した。すごいプレッシャーだが、自分たちを信じて頑張りたい」と話した。えんじ色の選抜旗を掲げた氏家颯俊(そうしゅん)主将(3年)は「被災県への拍手が大きいように感じた。『頑張れ』という励ましだと思う。自分たちのプレーをしっかりしたい」と語った。
 三塁側の観客席では、夜行バスなどで駆け付けた保護者会の父母ら約30人が見守った。保護者会長の野田学さん(42)は「震災から節目の年。センバツで1勝し、新たな歴史を作ってほしい」とエールを送った。長井涼捕手(同)の母由美さん(39)は「原発事故があって心配したが、よく甲子園の舞台に立ってくれたと思う。続けてくれて良かった」と拍手を送っていた。
 午後は選手の休養に当て、大阪市内の宿舎でテレビ観戦などした。25日午前11時半から鳥羽(京都)と対戦する。
 ◇「強くなったね」 飯高投手の母、声援
 「優しい子が震災後、気持ちの強い野球をするようになった」。飯高星哉投手(3年)の母照美さん(39)=写真左から2人目=は、三塁側スタンドで甲子園を堂々と行進する息子を見て感慨を強くした。楢葉町の自宅は福島第1原発事故の警戒区域(半径20キロ圏)で、立ち入り禁止に。寮生活を続ける飯高投手を福島に残し、家族は東京都練馬区で避難を続けている。
 「全国制覇を狙いたい」と飯高投手が選んだ学校。福島で暮らしていた頃、家族は休日の練習試合に応援に行っていたが、震災後はできなくなった。一時は野球を続けるか悩んだが、飯高投手は「自分は恵まれた環境だと思う」と話す。中学時代のチームメートらが所属する警戒区域内の高校では、転校する生徒が相次ぎ、避難先で野球部の活動を続けられなくなるケースが相次いでいるからだ。「被災地、福島の代表としてプレーし、甲子園で勇気を与えたい」と決意している。
 息子との距離は遠くなったが、成長を実感する照美さん。「開会式を見て、今までの苦労を思い出した。」と感極まって涙を見せた。【蓬田正志】
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