« 前へ | トップページ | 次へ »

「ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう」

[ ]

shimbara   satomi k052.JPGこのページにも海外より東日本大震災の被災地へ・・・思いのこもた応援メッセージが届きました。

出来ることを考え行動をおこしているようすも届きました。被災地へ直接メールや手紙を送ってもらうように伝え,被災地の方へ支援している思いも伝わっています。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」・・・「ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう」そのシーンが毎日新聞の社説にありました。

加藤さんのリクエスト↓

**********毎日新聞社説より**********

社説:世界の支援 はげましを忘れない

 岩手出身の詩人・童話作家、宮沢賢治は明治三陸大津波の年(1896)に生まれ、昭和三陸大津波の年(1933)に37歳の生涯を閉じた。東北の大地に住む、貧しくつつましい人たちに、限りない愛情を注いだ賢治。代表作「銀河鉄道の夜」には、主人公の心やさしい少年ジョバンニが「ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう」と、こうべをたれてつぶやく場面がある。

 東日本大震災が起きてから、世界中が日本を支えてくれた。2万人態勢の「トモダチ作戦」で物資輸送、救助・捜索にあたった米軍をはじめ、缶詰や下着など避難生活に必要な物資を送ったり、医療活動などにあたった多くの国。涙を流しながら、津波犠牲者を悼む歌を合唱したケニアの少女たち。決して裕福ではない生活の中から14万円を寄付してくれた、ジャカルタの看護師・介護福祉士候補者のみなさん。遠い異国の被災者のつらさをわがものと受け止め、他者のしあわせを自分のしあわせに置きかえる無数のやさしいジョバンニに、私たちはこう伝えたい。ありがとう、あなたがたの気持ちは忘れません、と。

 日本に住む外国人も、被災地に行って炊き出しなどのボランティアをしている。震災で悲しみに沈む日本人にとり、国境や国籍を超えた思いやりは大きなはげましだった。大地震と大津波と原発事故。容赦ない災害の連鎖にぼうぜんとなりながらも、私たちは今、世界との絆を感じている。日本は一人じゃない。復興と再生への遠い道のりを前にしながら、そう思う。

 私たちはこれまで、支援を与える側にいた。その私たちが、支援を受ける側に立った。約5億5000万円の緊急支援予算を組んだタイのアピシット首相は「日本はこの50年間、タイの発展に重要な役割を担ってきた。タイが恩に報いるのはこの機会だ」と語った。多くの国や国際機関が、いままで助けてくれた日本を今度は私たちが助ける番だ、と言ってくれる。

 国際支援、共存共栄、地球市民。お題目のように使ってきたこうした言葉が、抽象的ではなく、生き生きとした実感を伴って、私たちの胸に響く。外国から寄せられる善意が、困難な環境にいる人たちにとって、どれほど心温まるものかを、私たちは今さらながらに知った。

 大きな余震が続き、震災被災者たちの苦境は、いつ終わるともしれない。原発事故が収束するかどうかもなお、予測がつかない。再び活力あふれる日本社会が戻ってくるまでには、もう少し時間がかかるだろう。だが私たちは、強じんで魅力ある国として、必ず復活する。国際社会からの温かいエールに応えるためにも。世界中からまた、たくさんの人がやってくる国にするためにも。

 日本は一人じゃない。それは、同時に、日本は一人では生きられないということでもある。エネルギー資源や食料を海外に依存し、外国と交易しながら生きていくことを、運命づけられた国である。平和な日常は、日本の生存にとって不可欠である。であればこそ私たちは、他者の痛みに、よりいっそう敏感な国でありたい。自然災害や紛争など、不条理な外部からの力によって仕事や家族や大切な人を失い、貧困や疾病に苦しむ人たちが、世界にはおおぜいいるのだから。

 外に目を開き、この地球に住む一人一人の人間の尊厳を守ることを何よりも大切にする--。それが、震災でいただいた世界の支援に、私たちが応える道ではないだろうか。

ご感想やメッセージを、コメントやトラックバックでお気軽にお寄せください。

トラックバック(0)

このブログ記事に対するトラックバックURL:

コメントする