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岩手県大槌町・・・胸が苦しくなります・・・

このページでのリクエストがありました岩手県大槌町の記事です。

んーーー。胸が苦しくなる・・・。しかし,希望を持ちたいです。

田中さんの大槌町への思いも伝わってきますし・・・・

これまで頂いたメールでも大槌町の状況がどれほど困難が多いか・・・ある程度は伝わっていましたが・・・ん・・・複雑な気持ちだと思います。

今,出来ることから一つひとつ・・・共にできることをしていきたいです。

**********毎日新聞**********

 東日本大震災>住民3分の1が町外へ 中心部壊滅の大槌町
<東日本大震災>住民3分の1が町外へ 中心部壊滅の大槌町
津波で壊滅した大槌町の中心市街地。がれきを撤去する重機の音が響いていた=岩手県大槌町で2011年5月20日午前11時34分、町田結子撮影

津波で壊滅した大槌町の中心市街地。がれきを撤去する重機の音が響いていた=岩手県大槌町で2011年5月20日午前11時34分、町田結子撮影
 東日本大震災で約1700人が死亡・行方不明となった岩手県大槌町が、残った町民1万4000人余りのうち約5000人の所在をつかめていない。被災後に町を出たとみられる。現在は町内で避難生活を送る約600世帯も、隣の釜石市の仮設住宅に入居を申し込んだ。なかなか進まない復興や長びく避難所生活にいらだちを見せる住民は多く、商店主らは「このままでは町に人がいなくなる」と心配する。【町田結子、黒田阿紗子、山口知】

 大槌町の平野公三総務課長(54)によると、町が所在を把握できている町民は9000~1万人で、残り約5000人が不明。「町に届け出ずに町外や県外に出た人が多いと思われる」という。

 国土地理院によると、町は津波で市街地の58%が浸水し、役場を含む中心部が壊滅状態になった。町職員136人のうち、加藤宏暉(こうき)町長(当時69歳)を含む32人が死亡・行方不明になり、被災者への対応が遅れた。家屋の7割超が倒壊し、仮設住宅のニーズは高いのに、入居申請の受け付けが始まったのは4月25日。隣の釜石市では震災5日後の3月16日に受け付けを始めていた。

 「一日でも早く仮設住宅に入って落ち着きたかったから、釜石市に応募しました」。津波で大槌町安渡(あんど)の自宅を流された東梅(とうばい)睦子さん(65)は言う。職場が釜石市内にある大槌町小枕の建築業、三浦秀靖(しゅうせい)さん(30)も「両親は大槌を離れたくないと言うが、(家の)再建は無理。4月8日に釜石市の仮設住宅に申し込んだ」。大槌町安渡で避難生活を送るタンカー船員、後藤伸輔さん(46)は家族3人で盛岡市内のアパートに移る。海に出たら数カ月は戻らないため「住居が定まらなければ、家族が心配で仕事に出られない」という。

 釜石市の不動産会社「東北土地開発」には震災直後から賃貸物件の問い合わせが相次いでいるが、担当者は「釜石と大槌の人が半々ぐらいの印象」と話す。東梅(とうばい)政昭副町長(66)は20日、「(町外に)行くな、とも言えない。こちらでも頑張っているから、町内の仮設に入ってもらいたい」と訴えた。

 住民の町外流出に、地元商店主らの危機感は強い。町では津波が来なかった場所にプレハブの共同店舗を建設する計画が進んでおり、約110軒が参加を希望している。大槌商工会の菊池良一会長(62)は「(物が)ないない尽くしなら、もっと町民が出て行ってしまう。『大槌はまだまだ大丈夫』と示すためにも、早く店を出したい」と話している。
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