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共に希望に向かい一歩一歩少しでも共に前進していけるよう...

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satomi  p     047.jpg9月11日...東日本大震災から...この半年...あまりにもさまざまなことが...

8月に沖縄出身で石巻在住の西牧さんよりいただいたメールが心に...

「友人の家の日めくりカレンダーは3月11日のままです。お父さんは「今日何日だかわかんないんだっけ」なんて笑っていますが、お母さんは涙ぐんでいました。この頃になって、津波の跡や被害の写真等をみると、涙が出そうになります。こまったものです。」

 と...。

一瞬にして大きな状況の変化...その後続くさまざまな事態...そのなかを懸命に...

あらゆる感情の変化もその状況でその方にしかわからない複雑な思いがあると思います...

経験をされた方にしかわからない部分が多くあると思いますが、希望に向かって共に歩みたい...その思いです。

"あなたは苦難の日に自分が失望していることを明らかにしたか。

 あなたの力は乏しくなる"

私にとって種類は異なりますが、苦難を乗り越える大きな力になってた"言葉"です。

力が乏しくなるのが"苦難"ではなく"失望"...

時として失意してしまうことがあっても失望してしまわなければ、苦難の中でも力がなくなることなく...支えられ前に向かい歩み続けられ...感謝しています。

家族に生じた突然の事故や、それに関連した状況の変化ゆえにさまざまな新たな出来事、後遺症や病気に伴う付き合っていく必要があることを受け入れつつ希望に目を向ける...

苦難が生じている時に、以前を振り返り失望するのではなく、苦難の中でも与えて頂いている"命"や、命を支える壮大な自然界の循環や、支えてくれる方への感謝の気持ちに思いを向けるように助けられてきました。

人が前に向かい歩むためには"希望"が力になると実感しています。

これからも、共に希望に向かい一歩一歩少しでも共に前進していけるよう心より願っています。

 ****毎日新聞****

東日本大震災:発生半年 戦後最悪の自然災害、復興遠く

11日で津波による倒壊から半年を迎える南三陸町防災対策庁舎。庁舎の前で手を合わせる人が絶えない。周辺では今もがれき撤去が続けられている=宮城県南三陸町志津川で2011年9月10日午後4時10分、丸山博撮影
11日で津波による倒壊から半年を迎える南三陸町防災対策庁舎。庁舎の前で手を合わせる人が絶えない。周辺では今もがれき撤去が続けられている=宮城県南三陸町志津川で2011年9月10日午後4時10分、丸山博撮影

 東日本大震災は11日、発生から半年を迎える。10日現在の警察庁のまとめによると、死者は自然災害で戦後最悪の1万5781人。津波被害の大きさを物語るように、今なお4086人が行方不明のままだ。被災者の避難先は全都道府県に広がり、8万2945人が避難生活を続ける。東京電力福島第1原発事故は収束せず、津波被害地の復興も遅れ、被災者は今も苦しい生活を強いられている。

 被害の大きい3県の死者は、岩手4656人、宮城9456人、福島1603人。発見された遺体の7%は身元が分かっていない。

 行方不明者は岩手1692人、宮城2149人、福島241人。3県では9日時点で計460人の警察官が捜索に当たるが、時間の経過とともに困難さを増している。遺体発見は7月133人、8月105人で、9月は8日までで23人だった。

 法務省は6月、行方不明者の死亡届に関する家族の負担を軽減するため、受理要件を緩和した。各地の法務局によると、2日現在で岩手1429人、宮城1630人、福島191人の計3250人の死亡届が受理され、行方不明者の約8割にあたる。

 岩手県大槌町の里舘園子さん(73)は7月下旬、津波で行方不明の夫(当時77歳)の死亡届を出した。「葬儀も出して一区切りと思ったが、紙を出すことで実感がわいて悲しかった。今も毎朝、写真の前で手を合わせると涙が出る」と話した。【北村和巳、鮎川耕史、神足俊輔】

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