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「義足のランナー」が医療関係者の教材として使っていただいているとは知りませんでした...

gisoku  shimabukuro tsutomu.jpgご連絡どうもありがとうございます。

そうなのです...なかなか近況報告をおひとりお一人へ出来ないためにこのページがあるようなものなのです。兄(島袋勉)が事故前にお世話になった方から、兄の大きな事故のことを知り心配して下さり気遣ってくださり本当に嬉しく思いました。
兄が両足ある頃を知っておられるだけに、義足になって初めて会う時の感情や心配も伝えてくださり、本当にありがとうございました。

また事故後、入院中にお世話になった医療関係者や同じ時期に入院されていた方やそのご家族にも本当に、いろいろな仕方で支えていただきました。
お世話になったその方たちから講演依頼や講演に関する問い合わせも増え、また兄と私の共著「義足のランナー」書を読まれた方からの質問がお電話や手紙、メールが増えたこともありました。

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返事をそれぞれに書くことが時間的にも難しくなり、このページで兄の退院後の活動を妹の視点で書くようになったのです。
また、私たちの母は1989年7月に停止中に後方より大型車に追突され脳の手術を12回受けた経緯もあり、兄としては母の記録の必要性も感じていたようです。
それで兄の活動記録、母の記録、そして厳しい状況の中でもさりげなく咲き続ける原種の四季咲きの島薔薇の記録...なのです...
お役に立てていたのでしたら、それは喜びです。知らせてくださってどうもありがとうございました。
兄は事故当日は成田空港に到着後、船橋にあった「ららぽーとスキードームザウス」に寄りホテルで一泊し翌日羽田空港より那覇に移動する予定だったのです。
それが船橋の踏切事故の後、救急医療センターへ搬送され、長野、所沢と転院し20ヶ月の長期入院となったのです。
今になりますと、貴重な20ヶ月間でその期間に兄が復帰するために歩けるようになるために必死に考え続けリハビリを経験しながら学んだことが、実際役立ちその基盤により進歩していることが多いのです。
しかし、兄本人は少しでもはやく仕事に復帰しなければと考えていましたのでとても葛藤があり入院中は切断部の痛みで焦っていたと思います。
きっと、状況は異なると思いますが「義足のランナー」が医療関係者の教材として使っていただいているとは知りませんでした...。サイン入り希望に関してはこれから発送いたします。ありがとうございました。
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