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できるまでチャレンジし続けます。ありがとうございます。

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チャレンジし続ける大谷先生・・・私にとっても励みです!

流汗洗心」・・・尼崎市立尼崎高等学校 大谷学級 通信より↓

2010年4月18日、「第26回全日本トライアスロン宮古島大会」へ挑戦しました。

水泳3km → 自転車155km → ランニング42km

ootani 017.jpg合計200kmを制限時間13時間半で自分と闘うレースです。

 

私の尊敬する両足義足のランナー島袋勉さんの生き方に感動し、

最も苦手なことに挑戦しようと決意したのが10ヶ月前でした。

 

188km地点で制限時間となりましたが、

今回の挑戦でたくさんの気づきを頂きました。

 

スイムは常に密集状態が続き、恐怖です。

 頭を殴られたり、顔を叩かれてゴーグルが外れそうにもなりました。上から乗ってこられて溺れそうにもなりました。しかし、レース前に自分で決めたことがあります。

satomi ootani018.jpg 殴られる度に「ありがとうございます」と言うこと。

 すると、苦しみよりも、この青い海で泳がせてもらっていることや舟の上から、海に潜っているダイバー、みんなから見守られていること、そして、見えない所で自分の無事を祈ってくれている人のことを思うと気がつくと、泣きながら泳いでいました。

 苦しさの中にも、楽しさがあり、たくさんの「ありがとう」を見つけることができました。きっと人生も同じなのでは。

 

スイムのラスト200mの地点で左足の怪我が再発しました。

 着替えるところまでたどりつけず途中の芝生で足を伸ばしていました。そこに、左足が義足の方が横に座tsutomu ootani020.jpgられました。みんな自分と闘っているのだと改めて感じました。がっちりと握手をしてもらい、絶対ゴールしようと励ましあいました。その時、自分の弱さが吹っ飛びました。何か偶然ではないように思えました。後からその方の生き様を知りました。

  

沿道でのボランティアの方々の支えが力になりました。

 自転車の速度に合わせて走りながらボトルを渡してくれる小学生、手渡しながら「頑張ってください」と言われる度に、涙が流れました。何の見返りもなく、ただただ頑張っている人のために一生懸命働いてくれているその姿に、たくさんの力を頂きました。と同時に、自分はこんなにも人を応援したことがあるのか、と問いかけましtsutomu ootani022.jpgた。

 

自転車を終え、後はフルマラソン42km残り時間は6時間半ありました。

 言い訳をせず、自分と闘いました。歩いている人に抜かれていきました。

中学校の前を通った時、大勢のブラスバンドがロッキーのテーマを演奏してくれました。号泣しました。追い抜かれる人の一人ひとりの背中を見ているとそれぞれの想いが背中から伝わりジーンときました。みんな自分と闘っています。

 

沿道で数えられないほどの応援や声援を頂きました。

「ゴールで待ってるぞ」「絶対帰って来いよ」

ootani ikuhirosan 025.JPG そして、本当に苦しい場面で、「楽しんで下さい」

と声が届いた時、自然と涙が流れました。忘れられません。今でも心に残っています。

 

ランニングの25km地点から30km地点までの約1時間は真っ暗な畑の中を一人で足を引きずっていました。最後尾でした。

 自分と向き合いました。今までこれほどまで、応援してもらったことがあっただろうか、と。あえて苦手なことにチャレンジしたからこそ支えてもらっていることや応援してもらっていることが身にしみました。今までは、得意な分野で勝負していて、自信もあり、常に強気で、周りが見えていなかったことに気づきました。

 実は、今までも、そしてこれからも、同じぐらいの ootani ikuhirosan026.JPG応援をしてもらえます。それが、見えるか、見えないかということだと気づきました。

本当の意味での「ありがたさ」や「おかげさま」が分かっていなかったことに気づきました。

 

30km地点でスタッフの方に時間切れと宣告されました。

 ゼッケンを外すので、最後まで行かせて欲しいと懇願しました。しかし、ダメでした。 それならば、いったん終わってから、

30km地点までタクシーで戻り一人で続けようとも考えました。しかし、大会を支えて下さっているボランティアの方々の想いを考えた時、自分の我を通すことが出来ませんでした。あきらめず、何回でも挑戦します。

  

ootani  060.JPGレースの翌日、ある若者がゴミ拾いを提案しました。

 レース中にドリンクボトルや食べ物の袋などを、道路や畑に捨てる選手がいます。それを島の人たちが翌日に拾われます。一生懸命走れば、走るほど本質が分からなくなっています。レースをすればするほど、島が汚れていくということです。そんことでいいのかと、思いのある人たちが集まり、ボロボロの身体でゴミ拾いをしました。感動しました。

 

帰りの那覇空港で島袋勉さんと島袋さんのお母さん、妹さんそして、ツールド沖縄の際お世話になった上間さんが到着ロビーに駆けつけて下さいました。花束と祝福を頂きました。

 

ナイスチャレンジャー大谷先生!」

 

のプラカードを見た時、涙が出ました。と同時に、島袋勉さんの生き様を見た思いでした。島袋勉さんの出会いから始まりましたこのチャレンジ、

今回のゴールは那覇空港でした。

 

今回の挑戦で見えてきたものがありました。

◆ 自分自身がいかに無力であったとしても、人の支えと協力によって必ず出来るようになるということ。

◆ できるか、できないか、を考えるのではなく、心で感じたら、チャレンジすること。

◆まずは、スタート地点に立たたなければ、何も始まらないこと。

◆そして、できるまで、あきらめずにチャレンジし続ければいいということ。

 

 最後になりましたが、今回の挑戦は、八尾彰一監督とのご縁なしでは実現しませんでした。心より感謝申し上げます。

 また、スタート地点に立つ勇気を生徒達からもらいました。約束した感動のゴールをするまで決してあきらめません。できるまでチャレンジし続けます。ありがとうございます。                     平成22年4月 大谷育弘

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