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自分が経験したことがお役に立つなら・・-と兄が講演依頼に応じて六年

kurita satomi  miyazakisi  020.JPG兄(島袋勉)が「自分が経験して感じたこと、学んだことがお役にたつなら・・・」と、恩返しと思いから講演依頼を受けすでに6年・・・が経過しています。事故後,復帰できた感謝として、恩返しとして講演依頼に兄が応じると決めてから・・・いろいろな挑戦もありました。

本業(株式会ラシーマ代表取役社長)のスケジュールが組まれている中、講演依頼がラシーマへ届き全国の学校

kurita satomi   miyazakisan016.JPGへ出向くには時間的な調整が課題でした。

物理的にアクセが便利な地域だけでなく、学校からの願いが届きましたら、スケジュールを合わせてもらい辺鄙な地域にも向かい依頼に応じるようにしてきました。

沖縄の船でしか行けない離島も時間的な挑戦が・・・しかし多良間島・伊是名島・伊平屋島・竹富島伊江島等々、本業を調整しつつ依頼に応じてきました。

国内では北海道やアクセスに時間のかかる北陸・山陰地方も時間的に挑戦でしたがスケジュールに合わせていただけたら、どうにか調整して出向くようにしてきました。

スケジュール調整は大きな課題でしたが、「夢をあきらめない島袋勉講演会」後、ラシーマへ届くその後の報告は兄(島袋勉)にとっても大きな励みとなっています。

kirita satomi miyazakisan 017.JPGそして、講演を聴かれた方が,感じたことや経過を兄やスケジュール調整をしている私にも手紙で知らせていただき嬉しく思っています。7月の「天分塾」での講演後に届いた報告も兄にとって励みとなっているようです。

★お便り紹介↓ 大阪産業大学

 栗田智美様

・・・七月十日の大阪での天分塾で勉さんと久しぶりに再会させて頂いたのですが、いつもと変わらぬ笑顔で心和みました。苦しい事を乗り越え、今も挑戦し続けておられ、人々に生きる勇気を与えておられる努力家だからこそ、我々にも伝わるものが大きいのだと感じます。・・・・

本気で懸命に生きておられる勉さんの生きる姿を本人でも何かを感じると思いましたし、できれば直接 本人を勉

kurita satomi miyazakisan018.JPGさんに会わせたいと思っていました。講演前に勉さんの本を買い、本人に黙って手渡しました。その本を膝の上に置いて勉さんのお話を聴き入っている背中を見て、心で受け止める事ができる人間になってくれると感じました。講演後、すぐ本人を連れ勉さんの元に行き、渡していた本にサインをしてもらい、握手をしてもらっていました。私も横におり、あの勉さんの優しい目、笑顔が本人にとりましても 最高のプレゼントだったように感じ胸が熱くなりました。すばらしい 心の宝物を頂けた事が本人にとりましても生きる力になったと思います。帰る時に本人と話をすると、「僕だけでなく、島袋さんのお話を多くの聴かせてもらうべきだと思います」と言っておりました。

少し心の幅が広がったように感じ嬉しく思いました。私自身、野球というスポーツを通して若者に多くの経験をさせる事が大切だと以前は思っていたのですが、そうではなく

kurita satomi miyazakisan 019.JPG「野球道(どう)」にする事。生き方を学ばせる事だと気付かせて頂きました。指導者、教育者とは実は、学生たちに多くの事を学ばせて頂いているのだと思います。大谷先生ともよく話をするのですが勉さんの事、智美さん、お母様の事、あの空港での写真からも皆様の心の温かさがお会いした事のない私にも伝わって来ましたし感動して涙が出ましたという大谷先生の言葉もよく分かる気がしました。

...あの日以来 毎日頑張って取り組んでおります。自分ともしっかり向き合えるようになったように思います。その姿を見て私自身がすごく勉強させて頂いておりますし、私自身も心の教育を大切に生きる事の大切さを伝えていければと思っております。勉さんが日本中 飛び回っておられる中、それを支えておられる智美さんの心配り、優しさを...心より感謝申し上げます。

勉さんにも宜しくお伝え下さい。           大阪産業大学  宮崎正史 拝 

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