その思いが年配の方にも幼い子どもにも伝わっていきますように・・・
神奈川県の教育行政より4月1日で学校へ転勤になりました中野敏治さんより「個人通信」の「かけはし」が届きました。
このページを被災地で見てくださっている方へ"想い"が届くことを願いつつ紹介します。
地震・その後の津波で大切な人を亡くされた大きな悲しみ,今の行方不明の方を待っている方々。余震も続きたくさんの不安もあると思いますが,世界中でたくさんの子どもも大人も,一緒にこの苦難を乗り越えていきたいと願っています。
その思いが年配の方にも幼い子どもにも伝わっていきますように・・・大地震のことを知った世界中の多くの方がその気持ちで被災地の方を応援しています。
・・・・・中野敏治さんより↓・・・・・
平成二十三年三月十一日(金曜日)午後二時四十六分
建物の五階で仕事をしていたとき、建物が揺れはじめ、その揺れは徐々に大きくなってきました。座り込み、テーブルの脚につかまったのですが、そのテーブルも床の上を滑り始めました。
このとき、東北地方では、大きな災害が始まった瞬間だったのです。テレビから流れてくる被災地の状況。一瞬の出来事。日本に何が起きたのかと、言葉を失いました。
何かをしなければ、何かできることはないだろうか、そんな思いが頭に浮かびました。私の住んでいる小さな町にも、東北地方から避難をされた方が、約二十人来られました。
日本は一つだと改めて感じています。
一人ではない、名も顔も知らなくても、国が違っても、人はつながっていると実感しています。日本のみならず、世界中の多くの方が被災地の方々を支援しています。この姿に涙が出るほど感動をしています。
本来人間は、こんなにも他の方のことを真剣に考えられるのに、どうして「いじめ」や「戦争」が起きてしまうのでしょうか。
本来の人間の心を改めて感じています。本来の人間の心を大切にしたいです。 日本一心 世界一心
何かをしなければ
被害状況がわかってくるにつれ、その被害の大きさに驚かされました。
「何かをしなければ...」という思いが強くなってきました。
翌日の十二日から、被災地への支援活動が近くで始まりました。
自分にできることがあればと、支援活動を手伝わせていただきました。
東北地方の市町村と連絡を取り、必要なものを確認し、それを住民に呼びかけていたのです。
道路が渋滞し、交通整理が必要になるほど、たくさんの方々が毛布などを持ってきてくれました。
小さなトラックいっぱい持ってきてくれた方がいました。「一人一人が持ってくるのも大変だと思って、地区を回って集めてきましたよ」と話しながら、荷台からたくさんの毛布をおろし始めました。
おばあさんは、キャリーバックのようなものに毛布を積み、持ってきてくれました。「もらい物で、まだ使っていないから、避難している人に使ってもらってくださいね」と。
毛布を持ってきた青年は、毛布を差し出した後、集める側に加わってくれました。
二日間で、集まった毛布の枚数は約二八
〇〇枚。集積場はいっぱいに毛布が積み上げられました。
支援金も集めさせていただきました。
生後数か月の赤ちゃんを抱きながら来られたお母さんは、「うちの子と同じくらいの子が体育館に避難していると思うと、つらいです」と言われながら、募金をされました。
家族で募金に来られた方も多くいました。両親と一緒に小学生くらいの女の子と幼稚園児くらいの男の子が手をつなぎながら、貯金箱を持ってきました。「はい」とそれを貯金箱ごと差し出してくれたのです。
多くの方が支援金の場所にも集まりました。
彼は、迷いがなくなったように、ぱっと動きだし、支援金箱の前に立ちました。
ズボンのポケットからお財布をだし、そこから百円を募金箱に入れたのです。募金箱に入れた瞬間、彼は一瞬、動きを止めました。そして、もう一度お財布を広げ千円札を募金箱に入れたのです。一言「使ってください」と言いながら、彼は小走りでその部屋を出ていきました。
(子は宝です。)
集められた毛布などはトラックに積み込み、十三日夕方、被災地に向けて出発しました。
大切なことは、思いを続けること。私にできることを続けていきたい。
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