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宮城県石巻市の大川小学校周辺の御家族の思い

satomi  shimabara   024.jpg教えて頂いていた石巻市の捜索状況に胸が痛みます。

どれほどの葛藤と複雑な思いなのか御本人にしか分からない大きな衝撃・・・

昨日4月2日宮城県石巻市の大川小学校周辺で行われた集中捜索の様子で御家族のことが掲載されていました。

*****産経新聞****

「子供の顔を見るまでは...」祈り、見守る親 宮城・石巻の大川小周辺で集中捜索 

【東日本大震災】

 激しい揺れの後、教員らは児童を校庭に誘導した。避難のためだった。そこに大津波が襲いかかり、児童の3分の2が死亡・行方不明となった。宮城県石巻(いしのまき)市の大川小学校周辺で2日、自衛隊と米軍などによる集中捜索が行われた。1日に続くオペレーション。自衛隊員らは小さい女の子の遺体を大切に収容した。校舎などが瓦礫(がれき)と化した学校跡には行方不明となった児童の家族らが連日足を運んでいる。「あの子の顔をみるまでは...」。この日も祈る思いで捜索を見守った。(桜井紀雄、荒船清太)

 「悔しい。子供たちが一番怖いときに迎えに行ってやれなくて」。農協職員の男性(37)は目に涙をため、捜索を見つめた。

 1年だった長男(7)は遺体で見つかったが、3年の長女(9)は行方不明のまま。「家にいると気が狂いそうになる」。毎日、学校跡に姿をみせては、長女の遺品を捜し続ける。「昨日、娘がはいていた靴が左だけ見つかった。だけど...」。8日は娘の誕生日。「それまでに見つけて、誕生日会をやってやりたい」

 この日の捜索は、大川小から約3キロ離れた北上川河口部まで捜索範囲を拡大。上空をヘリコプターが旋回する中、ボートによる捜索のほか、潜水士らが潜って捜索した。

 女児とみられる遺体は午後1時ごろ、河口近くの沼地で、土木作業中の作業員が発見。付近で捜索していた陸自の部隊が引き揚げた。服を着ていた。身元はまだ分からない。全校児童108人のうち、56人が死亡、18人がいまだ行方不明となっている。

 「どんな状態でもいい。娘を家に帰してあげたいんです」。会社員の男性(44)と一緒に1年の長女(7)を捜し続ける妻は目を赤くしながら訴えた。4年の次男(10)は遺体で見つかった。「早く娘を確かめたい。見つからないと、次のことは何もできません」

 夫婦は2日午後、重点的に捜索が行われていた河口近くまで3キロの仮設道路を歩いて向かおうとしたが、途中、満潮のために道が水没して、引き返した。

 「いってらっしゃい」。震災の日の朝、出勤する前に2人の子供がかけてくれた声はいまも耳に残っている。男性は「早くお姉ちゃんをお墓に入れてあげたい」と話す。

 「『ただいま』っていう孫の声が耳から離れないんです。いまでも戻ってくるような気がして」。大川小の前に自宅があった阿部文子さん(59)は4年だった菜桜(なお)さん(10)と3年の舞(まい)さん(9)の2人の孫を失った。

 1日に葬儀を終えたため、再び学校跡を訪れた。地震当時、避難のために児童らが校庭に整列しているのを見たのが最後だった。自宅は跡形もない。

 周囲を捜索した人が泥にまみれたランドセルや孫の写真を届けてくれた。「上の子は女の子らしくて下の子は人なつっこくて...。写真を見ては...」。涙があふれそうになった。

 

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