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"那覇市首里の泉のおじさん"

那覇市首里の少年野球チーム「城西野球部」が今年で創部40周年!

 *****琉球新報*****

しっかり育てた地域の子 城西野球部が40周年

25年間監督を務めた泉朝男さん(左)と就任15年になる現監督の奥平一さん=那覇市のホテル日航那覇グランドキャッスル

 那覇市首里の少年野球チーム「城西野球部」が今年で創部40周年を迎えた。40年も同名で継続しているチームは珍しく、しかも40年の歴史で監督を務めたのはわずか2人。チームのユニホームも変わらない。那覇市のホテル日航那覇グランドキャッスルで22日夜行われた記念式典には、25年間監督を務めた泉朝男さん(81)と就任15年になる現在の監督、奥平一さん(50)がそろって出席。教え子と思い出話に花を咲かせながら40周年を祝い、今後も地域の子どもたちのしつけや教育の場として継続させることを誓い合った。
 城西野球部は1971年に創部。泉さんは野球経験はなかったが、息子たちが少年野球を始めたことをきっかけに部の面倒を見ることになった。息子らが卒業しても監督を継続。一時期は首里中学校野球部の監督も兼務し、75~77年まで中学の那覇地区大会3連覇、76年には第1回中学校九州大会制覇の快挙も果たした。泉さんが重視したのは礼儀作法やあいさつ。野球を楽しむことも教え、今でも「泉のおじさん」として親しまれる。
 当時の教え子たちがつくる草野球チームでは現役選手として年間40回程度ある試合にも必ず1打席は出場する。泉さんは「元気なのは野球のおかげ。40年も部が続いているのは本当にうれしい」と笑顔を浮かべた。
 91年、2代目の監督になったのは泉さんの教え子で5年間コーチを務めた奥平さん。奥平さんのチームからは10年、夏の甲子園で準優勝した東海大相模(神奈川)の大城建二、卓三の双子選手が巣立った。奥平さんは「野球の楽しさを伝えることを泉さんから学んだ。教え子たちが野球を続けてくれるのがうれしい」と喜んだ。県野球連盟那覇支部学童部首里地区の富村達也さん(47)は「40年も続く少年野球部は珍しい。地域の子どもたちをしっかり育てている」と話していた。


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