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和歌山県内の被災地で人手が必要

和歌山県内の被災地で人手が必要と連絡が届いています。

★歌山県内より被災地に向かえる方がまず求めらています。

****紀伊民報****

まるで津波被害 土石流に襲われた那智勝浦町 ルポ

まるで津波被害 土石流に襲われた那智勝浦町 ルポ
【岩と車で1階が埋まっている民家(10日、和歌山県那智勝浦町井関で)】
 台風12号により死者22人、行方不明者18人を出した和歌山県那智勝浦町。中でも最も被害の大きい井関、市野々地区を10日に訪れた。被災から1週間が経過してもひっくり返った自動車が放置され、土石流が流れ込んだ家屋も手付かずのまま。まるで津波の後のような光景が広がっていた。「これからどうすればいいのか」。住民の疲労は日ごとに増している。 (喜田義人)

 国道42号から、那智山へ向かう県道にさしかかると途端に渋滞が始まった。那智川が氾濫した井関、市野々地区はこの県道沿いにある。復旧作業を優先するため、通行規制がかかっていた。車を降り、徒歩で移動。避難所の市野々小学校を目指した。

 駐車場から小学校までは約5キロ。土煙が舞う中を歩いていくと陥没した道路、田んぼに転がった自動車、岩と流木に埋まった家屋、泥に埋もれた家財道具を洗う人の姿が目に飛び込んできた。

 小学校も被災していた。1階は30センチ以上泥に埋まり、運動場には水没した学校の備品や車が並んでいた。校舎の2、3階では約30人が避難所生活を送っている。町職員の中尾泰之さん(41)によると、避難所開設は3日午後10時半ごろ。川の流れから判断して、最初から2階に避難するよう指示した。その後、すぐに川が氾濫。「1階は1・5メートル浸水。雷のような音をたて、岩が転がってきた。怖くて誰も眠れなかった」と振り返る。

 学校近辺で泥かきに追われる民家を訪ねた。周囲は押し寄せてきた岩に囲まれ、押しつぶされなかったのが不思議なくらいだった。

 この家の主婦(54)が3日夜、窓をのぞくと堤防を越えた川が波打って迫るのが見えた。88歳の母を支えて、慌てて2階に避難すると10分くらいで1階が浸水。水はすぐ2階に迫ってきた。母を連れ、2階の窓から屋根に脱出。一夜を過ごしたという。

 取材に応じてくれた被災者は一様に「これからどうすればいいか分からない」とこぼした。通行規制をめぐって警官にくってかかる地元の運転者も。先行きの見えない復興に住民の疲労、イライラは限界に近づいていると感じた。

 明るい話題も見つけた。現場には県内外から多くのボランティアが集結。友人宅で泥かきをしていた新宮高校1年生の柿本直志君(16)は「助け合うのは当たり前」と強い日差しが照りつける中、額に汗をにじませていた。

 思わぬ再会もあった。福島県で防災ボランティアに参加した際に出会った千葉県の広田泉さん(42)だ。活動経験が豊富な広田さんは「受け入れ態勢の充実と被災者のニーズ把握が重要。今はとにかく人手がいる」と呼び掛けた。

 復興の行方は町の産業も左右する。取材後に立ち寄った駅前の飲食店は「店の客は大半が那智山への観光客。早期に県道を復旧させないと町が沈む」と不安を募らせた。

 

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