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戦争の傷跡はあらゆる仕方で今も残っています

そうなのです・・・今日は那覇市首里の沖縄県立首里高校の敷地で見つかった不発弾処理のため作業現場周辺は避難する必要があったのです。何度も首里で不発弾処理は行われています・・。通行止めのために遠回りが必要になってしまいました・・・。

沖縄県内ではあらゆる場所で不発弾処理はよく行われています。が、戦争の際に人を殺す目的で投下された爆弾が不発弾として地中にあると思うと・・・悲しい現実・・・です。

戦争となると、人間が人命を奪うことを意図的に考え行うのですから・・・

どんな理由があっても人が人の命を意図的に奪う心を持つことが許される時はないのに・・・

悲しい現実ですが那覇市内の地中にはまだまだ不発弾はあると思います・・・。

戦争の傷跡はあらゆる仕方で今も残っています。

それは沖縄だけでなく・・・世界中いたるところで生じて今も傷後に苦しんでいます。

来沖中に不発弾処理が行われ驚かれたかもしれませんが、那覇市内だけの不発弾処理だけでもよく行われています。

****沖縄放送局****

首里高校で2発の不発弾処理

沖縄県那覇市の首里城近くにある高校の敷地で見つかった不発弾2発の処理作業が、2日、住民などおよそ700人に避難を呼びかけて行われました。
2発の不発弾は、沖縄戦当時、アメリカ軍が使用したと見られる50キロ爆弾で、沖縄県那覇市の県立首里高校の仮設校舎の建設現場からことし8月から9月にかけて相次いで見つかったものです。
作業に伴い、現場から半径168メートルの立ち入りが禁止され、2日午前9時すぎから市の職員が住宅を訪問するなどして、およそ700人の住民に避難を呼びかけ、住民の一部は近くの小学校などに避難しました。
現場は、観光地として有名な首里城にほど近く、周辺の道路が通行止めとなったため、首里城に入るためには、遠回りが必要になるなど、観光にも影響が出ました。
千葉県から家族で観光に来て、近くのホテルに滞在している40代の男性は、「すぐ近くのホテルに泊まっているが、来た道からホテルに戻れなくなってしまいました」と話していました。
不発弾の処理は、午前10時前から陸上自衛隊の不発弾処理隊が行い、1発目は午前11時半前に、2発目は午後0時半前までに無事に信管が取り外されました。
沖縄戦当時、激戦地の1つだった首里では、ことし6月にも老人ホームの敷地で不発弾処理が行われるなど、頻繁に不発弾が見つかっています。

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