「妹さんから見てどうしてお兄さんは,あれだけ両足に傷ができながらも挑戦し続けられると思いますか?」
昨日,兄(島袋勉)のマラソンに関する問い合わせや質問がありました。
それで記録を確認していて気がついたことがあります。
最初に挑戦したホノルルマラソンの後,届いたホノルルマラソンの新聞を見て「遅いと記録はのらないのか...」と,真剣な顔。「新聞に記録が残せるようにしないとな!」と真剣な顏で話す兄でした。
最初のホノルルマラソンは12時間59分29秒です。
最近,2月19日に兄が走った東「京マラソン2012完走証」と「東京マラソン2012完走者記録新聞」が送付されてきました。スタートの合図から6時間34分59秒。兄がスタートしてからのネットタイムは6時間13分43秒。
最初のホノルルマラソンの約半分。完走者記録新聞を見て,兄は自分の後のこんなにランナーがいたの?と驚いて記録を見ていました。
2008年にも新聞記録に掲載されていましたが,こうして考えますと最初「何を言っているの?」と思うものですが,記録を見ると目標をしっかりもち,難しく思うことがあっても挑戦し続けていると目標の方向に向かっていることに改めて気づきました。
入院中に兄が目標にした「長野マラソン」制限時間が5時間と厳しいフルマラソン。
最初のフルマラソンより7年が経過していますが,これからも工夫しつつあきらめず挑戦を続けているときっと前進。思い出すと,最初の第1回東京マラソンで兄は制限時間を超えていて「完走証」をもらえず仲間が「手作り完走証」を作ってくれました。
「妹さんから見てどうしてお兄さんは,あれだけ両足に傷ができながらも挑戦し続けられると思いますか?」って質問の中にあったので,記録を確認しながら改めて気がついたのです。
他の人と比べてとか,事故に遭う前の自分と比べてではなく,兄は今の自分であきらめないことを楽しんでいるのできっと挑戦し続けらていると思います。
順位やタイムだけにこだわっていたらきっと続けられていないと思います。マラソンを通して義足の課題が明確になりその課題を見つけて喜んでいるのですが,その課題に応えてくれる義足のソケットがなかなかできないようで,ガタガタ亀裂の入った義足で走る続けている現状です。
(最初にマラソン挑戦した後に目標にしてきたことが少しづつ実現しつつある兄です↑)
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