長野県リハビリテーションセンターへ転院したのは2001年5月9日です
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ご連絡を受けて私の兄(島袋勉)が、長野の病院に入院していた頃を思い出しておりました。
事故直後の兄の新たな状態をまず受け入れ「それで今、何が出来るか?」私は主人とよく話し合ったことを覚えています。
毎日、長野市内の川沿いを自動車で長野県リハビリテーションセンターへ向かいましたが、関わる人々の認識の違いというか温度差でさまざまな思いをしたのも事実です。
あの頃もどんな状況でも兄、本人が前向きに考え工夫する習慣が、幼いころから培われていたので、状況を受け入れ前に進めていると感じています。
確認がありました2001年4月10日の事故で船橋救急医療センターから長野県リハビリテーションセンター転院したのは2001年5月9日です。
船橋から長野への転院ですので民間の救急車による搬送でしたが、あまりにも手際が悪く時間がかなりオーバーしていて約速した時間に遅れて病院に到着しても、それほど気にしていない態度でした。
搬送されている兄本人も「この人たち本当に大丈夫かな?」と、自分でどうすることもできずに心配していました。
高額の搬送費を民間救急車に支払うのですから、それなりの準備をしてほしいと思ったのは確かです。
まったく悪意はないと感じましたが、ただ準備していないことや救急搬送に対する認識が欠けていたのです。
やはり、苦情が出ているのですね。実態調査が必要だと思います。私も驚きました...。
兄は基礎体力があるので、持ちこたえられましたが...入院中の患者を搬送する認識が低いと、その搬送によりどれほど心身に影響を与えるか考えてほしい部分です。
当時は家族として兄が頭を打った衝撃による影響がとても心配でしたので、その搬送に対することより記憶障害をどのように改善できるのか?私と主人はそこに力を入れるようにしていました。
改善に役立てるなら嬉しく思います。
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