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「みなさんがきてくれたお陰で進み出しています」

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昨晩も,岩手県陸前高田の田中さんより支援活動で全国からボランティアできてくれる方への感謝の気持ちが届いてました。

先ほど届きました田中さんの友人の吉田さんからのメールです↓

「栗田さん。いつもどうもありがとうございます=ボランティアみなさんに瓦礫の片づけをしてもらって本当にたすかりました=時間がかかってもどうにかやっていこうと思っています=みなさんがきてくれたお陰で進み出しています=また報告します=」

ボランティアで支援活動に向かった人にとっても,世界中で応援している人にたっても,「どうにかやっていこう」その思いを支えたいと願っています。

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「伊東掃除に学ぶ会」の白鳥さんより5月1日~4日間被災地へ支援ボランティアに行かれその報告が届きました。報告と白鳥さんが撮影されました南三陸町の写真を紹介します。

p shiratori.JPG


 

  minami sanriku.JPG

 

5月1日から4日間、石巻の専修大学をベースキャンプにして
被災地のボランティアに行ってまいりました。
4月の小室山トイレ掃除に参加された腰塚勇人先生も急遽、
神奈川から車で、駆けつけてくださいました。
ベースキャンプ場の仮設トイレ掃除をはじめ、民家の瓦礫の片付け、
泥出し、山のようなダンボールのまとめ、避難所のシャワー室や
仮設トイレのお掃除など、やることは沢山ありました。
特にトイレ掃除は、大変喜ばれ、徹底した取り組みに、現地の方も
「感動しました、日本一のお掃除ですね」と嬉しいお言葉と笑顔を
いっぱいいただきました。
 
現地では、風邪が強く、テントが吹き飛ばされそうな日もありましたが、
皆、よい仲間が多く、全国から掃除の会を中心とした同志が集まっていました。
6月29日まで、テントを張っていますので、行くことが可能な方は、
私までご連絡ください。
南三陸町や石巻港、仙台港を見てきましたが、言葉を失いました。
石巻市内では、3月11日以降、崩壊した住宅も手付かずの状態で、
近所のおじさんの話によると、「津波に流されていなければ、
遺体はまだ、家の中にあるかもしれない」とのことでした。
街には、異臭が漂い、電気、ガス、水道などのライフラインもまったく
つながっておらず、未だに厳しい生活を強いられていました。
 
特に南三陸町は、町全体が壊滅状態で、住宅の姿、形もまったくなく、
根こそぎ流されていました。
伊東市でいえば、オレンジビーチから広野の青果市場ぐらいの広さだと
思います。
ここでは涙しか出ず、言葉が見つかりませんでした。
1万2千人の住人のうち6千人もの方が、お亡くなりになられたそうです。
花を持っていませんでしたので、手を合わせてきました。
心よりご冥福をお祈りしたします。
添付した写真は、24歳の女性が最後まで、非難を呼びかけていた
防災センターです。
伊東市の市街地とよく似ており、他人事のように思えませんでした。
地震対策も大事ですが、津波対策の方が、もっと重要だと実感しました。
なぜなら人・物的被害が何十倍も大きいからです。
 

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