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いろいろな時期がありましたがずっと続けて兄は断ることなく向っています

satomi shimabara  20130106001.JPG「義足のランナー」を読まれた・・・その後のこと,新たな決意と目標を教えていただきどうもありがとうございます。

兄(島袋勉)も私も本当に多くの方に支えていただいて,学ばせていただき「お役に立てるなら・・・」と,一つ一つできることを続けています。

私たちが幼いころからさまざまな仕方で関わり育ててくださった方がいます。成長して大人になってからも,見える所でも見えない所でも支えてくださっているので今こうして歩むことができています。その感謝の気持を示したいと,おっしゃるようにそれは継続して思っています。

2001年4月10日の事故で兄の状況が変化する前も,変化して後も,気がつく時も,気がつかない時もずっと継続してさまざまな方法で支えていただいています。

satomi shimabara 20130106007.JPG兄にとっても,突然の事故での入院中にさまざまな状況を実際に経験されている方の話がとても助けになったのです。全盲で目が全く見えない状態でも,相手の目を見ているかのように話を聴いてくださった長野県身体障害者リハビリテーションセンターの厚生課の池田純さん。一般の目の見える職員の中で,頼られる存在の池田さんへ兄は直接いろいろな質問していました。

再手術のため転院した所沢の国立総合リハビリテーションセンターで頸椎損傷で首から下が動かない状態で懸命にリハビリに励む姿。実際に経験された方が語る言葉の重み。その姿を直接見て,本人に質問して兄も私も話を聴かせていただけたのです。

自分の状態よりずっと大変な状況で意欲的な生き方や懸命な姿が,どれほど励みとなったこか・・・。現実にとても

satomi shimabara 20130106004.JPG役だったのです。それは兄自身にとっても,関係する妹の私にとっても・・・。

そんな経験を通して兄も私も学ばせていただいてきたのです。それで兄が「話を聴かせてほしいとお願されたら断らない」と,兄自身が決意したのです。その後いろいろな時期がありましたが,ずっと続けて兄はスケジュールが調整できれば断ることなく向っています。

おっしゃるように兄自身の体調の不良で一度も講演をキャンセルしたこともありません。そしてさまざまな出来事や交通への影響があっても,全国各地への講演会場へ荷物も持ち一人で向っております。

それは,人数が多いとか少ないとかアクセスが便利とか,便利でないとかではなく本業のスケジュール調整が

satomi shimabara 201301069005.JPG可能な限り,調整できる時には断らず向っています。そして私も最初の約束を守っています。最初に講演依頼を受けた後に,後日大きな規模で参加者が多い主催者からの講演依頼があることも時々ありますが,最初の約束を守るようにしています。(気圧の変動により切断部の神経の痛みや幻視痛など付き合いながらよくやっていると妹の私でも思います)

私は講演希望目的や日時や会場を,知らせていただくと兄(島袋勉)のスケジュールを調整しているだけでなのです。が,学ばせていただくことが多く感謝しています。

実際に兄の講演を聴かれた方が,今度は自分の会社で・・・自分の学校で・・・自分の子どもの通う学校で・・・自分の住み地域で・・・と講演依頼が広がり今も続いています。依頼がある間は兄は向うようです。

satomi shimabara  20130106   008.JPG私はその過程や講演後の交流により,大切なことを毎回新たな仕方で確認できるようなそんな感動に感謝しつつ兄のスケジュール調整をしているのです。

昨日頂きましたメールを深く読み,思い巡らして・・・やっと分かりました。

2007年4月27日にお台場のグランパシフィク メリディアンでゼネシス主催の"TOKYO CONVENTION 2007"で「夢をあきらめない」特別講演依頼がありました。その時は26日栃木県宇都宮講演,27日東京お台場講演,28日兵庫県姫路講演と連続講演で私も同行いたしました。よく覚えていて下さりありがとうございます。

瞳の奥の悲しみのような深さが伝わってきて,著書にサインをした後,目を見て私も涙が溢れたことだけは覚えて

satomi shimabara 20130106  011.JPGいます。そうだったのですね。知らせていただきどうもありがとうございます。

ゼネシスのコンベンションで島袋勉へ講演をしてほしいと最初に連絡を下さった方は九州志帥塾(北九州)で兄が講演をした際にお会いした方でしたので,直接ゼネシスの会長のことを私は存じておりませんでした。しかし,その後沖縄にいらした際にはラシーマまでいらしてくださり,親身になり兄のことを心配してくださったことに・・・今も感謝しております。

あの時のコンベンションで「義足のランナー」を求めてすぐ読んで下さったとありますので・・・2007年4月ですから読まれて五年半以上・・・ですね。きっと兄の講演をコンベンションで直接会って聴いた後に読んで下さったので,考える部分も多くあったか・・と,思います。

satomi shimabara 20130106   005.JPG五年半の月日が経過しても覚えていてくださり伝えてくださり,どうもありがとうございます。兄にも伝えておきます。決意したことですのスケジュールが合えば向うと思います。そして喜んで庭の島薔薇の「贈り物」のおすそ分けを送らせていただきます。

あの時同じ会場で,初めて島袋勉の「夢をあきらめない」講演を聴かれた方より4-年後に連絡をいただき,その方の夢を教えていただきました。

その時も「お役に立つなら・・・」と,兄は向いました。お役に立てる喜びを兄も味わっています。

講演を聴かれて4年後に島袋勉のページの「講演依頼を希望される方へ」に届いたメールです↓

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私が、はじめて島袋さんの講演を聞かせていただきましたのが4年前でした。

ゼネシスというミネラルのコンペンションで友人に招待されたことがきっかけでした。

本当に衝撃的で、3日間、寝込んでしまったほどです。

その友人は私に、「ともちゃんに聞いていただきたい講演がある」と言って、島袋さんの講演を私にプレゼントしてくれました。

 

それから、しばらくして2007年 千葉の八千代市市民会館で開催された講演会に今度は両親を連れて参加させていただきました。

その講演会の質問コーナーで最後に質問させていただいたのが私です。

その時、こんなことを島袋さんに皆様の前でお伝えしました。

 

「島袋さん、私の夢を聞いてください。

私は、島袋さんの講演会を開催することが夢です。

私は、以前、友人から島袋さんの講演会をプレゼントしていただきました。

今まで受けとったことのない計り知れないプレゼントとなりました。

私も彼女のように、大切な私のかけがえのない方々に島袋さんの講演会をプレゼントしたいのです。

少人数になるかもしれません、しかしその方々は私にとりましてかけがえのない恩師です。

3年過ぎたら、お願いにあがります。その時は、来ていただけますでしょうか。」

 

そう言ったとき、島袋さんは「お役にたてるなら。。」とやさしく微笑んでくださいました。

そして、帰り間際、名刺をくださり、「ここに連絡をください」と言ってくださいました。

 

その時、私は仕事をしていなく、主婦でした。

その一枚の名刺が私の道しるべになったことは言うまでもありません。

 

あれから、3年過ぎました。

 

場所は、宮古島の宮古島東急リゾートホテルです。

このホテルの社員の方々に向けてお話をしていただきたいと思っています。

このホテルに言葉に表せぬほどの御恩がございます。

 

お引き受けいただけますでしょうか?

 

島袋さんの講演があったからこそここまで来れました。

このご縁がどうかつながりますように。

ありがとうございます。

********2011年11月に実現した講演会の後の写真です*******

shimabukurosan   kiraku022.JPG

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コメント(1)

Anonymous :

返信頂きものすごく嬉しいです。
夢のようです、本当にありがとうございます。

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