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質問があった義足制作のための良い病院に関して

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兄(島袋勉)は今も断端部の痛みと付き合いながらですが、これまで支えてくださった医療関係者、特に義肢装具士の方たちにとても感謝しています。
質問があった義足製作のための良い病院に関してですが...どのような医療を何を求めるか...どのように生きたいか...が、関係する大切な点ですので患者本人、その方のご家族が関係することを調べて選択する必要があると思います。今日の面会の際に話した内容...

兄(島袋勉)の場合は2001年4月10日事故後救急医療センターに搬送され、左大腿部挫傷、両足下腿切断手術、頭部挫傷の措置が命を救うために本人の意識がない状態で緊急に行われていました。
それまで考えてもいなかった状態になり当初、新たな状態を受け入れることは勿論兄にとっても妹の私にとっても挑戦でした。術後しばらくすると救急医療センターですので転院先を決めるように言われましたので切断に関係する医学書やリハビリに関する文献をまず調べ関係する情報を確認しました。
兄は早く退院するため病院内に義肢科がある病院に転院を希望したのですが、沖縄県内には院内に義肢科を有する病院はありませんでした。
その時、調べて兄にとって良い医療が受けられると思ったのは所沢の国立リハビリセンターでした。
しかし、連絡すると申し込んでから二カ月以上は待つということで...
次に新宿にあった鉄道弘済会へ連絡したのですが、ここもすぐには入院できない状態で...
当時私は長野市に住んでいて、長野県リハビリセンターは院内に義肢科があるとわかり連絡すると所長に会えるように厚生相談室の方が予約してくださり、兄の転院先が決まったのです。

兄にとって長野県リハビリセンターの義肢科の環境はとても良く、少年のようにいろいろな質問をして学ぶチャンスとなっていました。義肢科に通われる患者さんが、切断後にどのような問題を抱えておられるか...知る事ができました。
また義肢装具士の方がみなさんとても親身になってくださったことに今も感謝しています。さらに入院している期間にスポーツ科学の研究者が義肢科へ実習に来られシドニーパラリンピックのスナップ写真をプレゼントしてくれて兄が両足義足でも走りたいと思うきっかけとなったり...
その後、歩行訓練をすると断端部に痛みが出て義足が装着できない状態になり、最初に希望していた所沢の国リハに紹介され転院となったのです。

国リハでは医療の進歩や新しい取り組みに実際に触れる面でも専門家に直接質問できたり、それまで調べてきたことを確認する面でも良い病院でした。新しい技術や機器を使用することも可能ですので選択肢が広がりそこに入院したことによるメリットが幾つもありました。
特に高次脳機能障害と診断された当初衝撃を受けましたが、現状をまず知り受け入れそこからスタートする面で助けられました。
さらに希望する患者が受けることのできるスポーツリハは両下腿がなくなった兄にとって退院後に備え自分の弱っていく機能を知り、補うためにできる方法を考えるための刺激となりました。
義足制作の面でも最新の取り組みを知る機会となりなりました。(肢装具技術研究という目的ですので患者は義足製作の様子を見て調べたり学ぶことはできない環境でした)

退院後しばらくして義足の相談をするためスポーツ用の義肢装具に関して詳しい東京の鉄道弘済会へ兄が連絡すると、走る意欲を大切にしてくださりその後,鉄道弘済会へ入院し義足の製作をしたこともありました。

記録を見ながら思い出すと、兄の事故直後は新たに調べなければならないことで走り回りましたが、最初によく調べてことが後々大きな影響があったのは確かです。

兄は沖縄に住んでいますので、意欲を大切にしてくださる義肢装具士がおられ佐喜眞義肢や現在は自宅から近い那覇市の赤田義肢製作所に義足製作でお世話になっています。兄は「これまで支えていただいた医療関係者や義肢装具士の皆さんへに感謝を示す方法は、自分自身が夢に向かい楽しく生き続けること!そう思っています!」と話していました。




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