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嬉しいメッセージをどうもありがとうございました。

tsutomiu shimabukuro    7214.JPG
嬉しいメッセージをどうもありがとうございました。
兄(島袋勉)へ伝えました。
質問に簡潔にお答えします。
確かに見守る家族にとっても目に見える挑戦より,目に見えない挑戦が大きかったです。
見て目に見える両足下腿切断は現状を受け入れる心構えができると,立ち向かう覚悟ができましたが,高次脳機能障害に関しては診断直後はガーーーーンと私の頭の中で衝撃を受けたのは今もよく覚えています。
兄は所沢の国立リハビリセンターに入院していて,私は当時長野に住んでおりましたので検査結果を聞いた後,病院を出て所沢インターから長野インターへ向かい自宅に到着するまでの250㎞をノーストップで車を運転し検査結果を主人に話した日のことは今も鮮明。覚悟というか...両足切断以上の大きな深刻な問題に立ち向かうことになる事に兄が立ち向かうことになることを予想するようになったからです。
病院で兄と私が検査結果を聞いた後,兄は衝撃を受けながらも,できるだけ明るく「原因がわかってよかった!」と,自分い言い聞かせるように繰り返し言っていました。

兄の事故から今年4月10日で13年が経過しました。2001年4月10日事故後搬送された病院が船橋市立医療センターで,緊急手術を受けている最中に私と主人は病院に到着したのです。
あの日は衝撃と言うより「何が生じたのか?」よくわからないだけに,「何があったの?」その思考と感情だったように思います。
衝撃を受けたのはその後だったように思います。
兄は痛みと行き合いながらですが意欲的に前に向かい生きています
そしてその姿は,私たち身近な家族にとっても励みとなっています。
兄が那覇市より依頼を受け,講演依頼に応じるようになったのが2004年3月10日です。ですから講演依頼に応じ講師として出向するようになり10年が経過しています。
講演出向記録を確認しますと講演回数は1100回を超えています。
いろいろな仕方で兄もこれまで支えて頂き,幾つもの回復しない後遺症と付き合いながら自分に与えられた責任を果たすよう懸命に努力を続けております。
講演依頼は,兄にとっては「恩返し」の位置づけで,「自分の経験したことが役に立つなら...」と本業のスケジュールを調整しながら応じています。
船橋市立医療センターは事故後,お世話になった病院で感謝しております。
お役に立てるようでしたら,スケジュールを調整し伺えるようにいたします。
取り急ぎ返事まで。
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